ダン・アリエリーは「なぜ性善説をやめなかったのか」
従って、この本は様々な読み方ができる面白い本です。行動経済学を知らなくて手に取った人でも、富永氏の具体的な質問へのダン・アリエリー氏の回答は非常に面白く役に立つでしょう。
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こうした問いをきっかけにダン・アリエリー氏のほかの著作や行動経済学に興味を持つ人もいるでしょう。特に彼の『予想どおりに不合理』のような本は、上記のようなふとした疑問から湧き上がる行動経済学的な仮説を実験した例がさまざま紹介されているので、おすすめです。
個人的に、アリエリー氏の話の中で興味深かったエピソードがいくつかあります。まず富永氏も触れていますが、アリエリー氏が動画プロジェクトをやりたいと持ちかけてきた人に裏切られた経験を持つにも関わらず、性善説を重視する姿勢を変えなかったこと。
これは「合理的に」説明すれば、アリエリー氏が言うように性善説を止めて性悪説を採用すれば、信用の毀損を「悪意のない人」まで広げることになってしまい、長期的には自身にとってマイナスだからということになります。しかし、富永氏も言っている通り、人間は普通このようには振舞えないでしょう。なぜなら騙された時の負の感情をなかなか払拭できないばかりか、それを未来に投影してしまうからです。
「性善説」という考えは、もともと孔子の「論語」を解釈した孟子が考えたもので、「人間のもともとの性格は善である」という説です。しかし実際、孔子は性善説を唱えていません。「人間の性格はお互い似ている」としか言ってないのです。だからこれを別に解釈した「性悪説」(荀子)のような考え方もできるわけです。
それでは、皆さんは人間は「もともと善いものなのか、悪いものなのか」どちらだと思いますか?