「自己紹介は○分で」


―― 米国では雑誌社も立ち上げられたそうですね。

 決済事業をやっていると、何が売れるのか分かってきます。売れている商品をOEMでつくって売ったりもしていました。そんな中、掲載商品がどこで買えるかという情報が盛り込まれたショッピングマガジンが米国で売れ始めていることに気づきました。日本の雑誌では当たり前ですが、米国では「VOGUE」などの雑誌はインスピレーションは与えるけれど、そこまでの情報は載っていないケースが多かったので、日本式の雑誌を立ち上げれば売れるのではと考えました。あまり知られていない南カリフォルニアの素敵なブティックやストリートを、地図や読者モデルを活用しながら紹介していくコンセプトでした。

 ロサンゼルスで立ち上げ、有名書店や駅でも売ってもらえるなど、結構注目されたのですが、結果としてはマネタイズできなくて1年半ほどで廃刊しました。商慣習の壁が厚かったです。けれど、たとえば記者を派遣するお金がないので定型フォームをつくって現地のお店の人に書いてもらう仕組みをつくるなど、コンセプトとしても手法としても、業界の常識に捉われないチャレンジができました。シリコンバレーと同じで、目の前に壁があって、苦しいから何とか解決策をひねり出してジャンプする、という感じです。「怖いもの知らず」だったことが大きいと思いますが、「ゼロイチでここまでできた」という自信に繋がりましたね。

―― 2008年に帰国され、寝具メーカーのテンピュール・シーリージャパンに入社されたのは、どういう経緯だったのですか。

 米国でのビジネスはある程度やり切ったと思い、会社を整理して日本に帰ってきました。経験だけはあったのでどこかで働けるだろうと思っていたのですが…日本では驚くほど評価してもらえません。クレジットカードすらつくれませんでした。

 日本での転職の仕方が分からなかったので、とりあえずネットで見つけた募集にフォーム投稿で履歴書を送ると、すぐ「厳正なる審査の結果…」と返信が返ってきます。当時、私は30代後半。年齢で自動的に不採用になっていたのでしょうね。

 派遣社員という存在を知り、登録してWebデザイナーとして派遣先の会社で働き始めました。するとすぐ「仕事のクオリティがふつうの派遣さんじゃない」と評価されて、契約社員になりました。正社員になるには年功序列の壁があったので、契約社員のまま「Webプロデューサー」という肩書きを付けてもらい、次々と案件獲得に繋げていくと、急に転職市場でも評価されるようになりました。マーケティング職に応募する際、「デザイナー」ではダメでも、デジタルマーケティングや、コンバージョンレートを上げる提案ができる「プロデューサー」なら需要があるのだと気づきました。

 あるエージェンシーの面接で長々と自己紹介していると、「自己紹介は○分くらいで終わらせた方がいいですよ」と言われました。当時の私はそんなことも知らなかったのです。とても勉強になったと感謝して、その人に教わった通りにプレゼンした結果、テンピュールに入ることができました。

―― シリコンバレーの時も、メールの書き方を注意してくれた人に感謝されていましたね。教えを素直に受け入れて、前向きに生かす謙虚さも尾澤さんの強さだと感じます。

 諦めることを知らないんです(笑)。先ほどもお話ししたように、シリコンバレーでは「負ければ明日はない」くらいの覚悟で、常に儲かる方法を考えていたので、どんなことがあってもポジティブに生かしていく習慣が付いたんだと思います。

―― テンピュールジャパンではどのような業務をされたんですか。

 最初はEコマースとデジタルマーケティングのマネージャーとして入社したのですが、職務内容を見るとWebサイトの構築から在庫管理、パッケージング効率化などあらゆることがランダムに書いてあります。実務を行うメンバーは私と事務の人のほか、エンジニアが英国にいるだけです。この状況を見て、少なくともジャパンにはEコマースやマーケティングについて自分以上に分かっている人はいないと気づきました。正直、マネージャーだけでこなせるような業務量ではありませんでしたが、経営において重要なのは「良い悪い」ではなく「何が有効か」です。もはやオーナーのような感覚で、全方位的に突き進みました。

 英国のエンジニアと時差や言葉の壁を乗り越えながら、なんとか日本版のWebサイトを立ち上げたところ、ECの売上が一気に増え、米国・カナダ以外の海外支社が日本版のシステムを次々とコピーするようになりました。

―― テンピュールジャパンでは最終的にECの枠を超えて、マーケティング全体の統括を務められました。

 ECが上手くいき始めると、リアル店舗と対立すると思われることがありましたが、会社全体で見ればECだろうと店舗だろうと、どのチャネルの売上かはあまり重要ではありません。百貨店などとの関係性を持続したい営業担当者の事情も分かるので、フロアサンプルを多く置いてくれている店舗を優先的に表示する店舗検索システムをつくったり、売り場の魅力を増やすために接客トレーニングのプログラムをつくったりしました。「越権」と思われる行為もたくさんしたと思いますが、あくまで全体の売上を伸ばすために、ECとリアルで相乗効果を生み出せることを意識しました。

 ただ、これを実行するには、当然ながら私ひとりではなく、チームの力が必要になります。「こうすれば上手くいくはず」という自分の経験や感覚を、言語化できないストレスを次第に感じるようになりました。なぜそうすれば上手くいくのか、チームのメンバーは腹落ちしないと施策を実行しきれません。実行できないと再現性がない。そこに限界を感じました。

―― それでビジネススクールで学ぶことを決意されるのですね。

後編に続く
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