マーケターズ・ロード 湖池屋 佐藤章 #01
日本企業に「プロマーケター」はそぐわない、和風マーケティングのススメ。 湖池屋 佐藤章社長
第一線で活躍するトップマーケターは、どのようにキャリアを歩み、その時々で何を考えて、どう実行してきたのか。そして、その経験は、次なるキャリアや現在の仕事にどのように生かされているのか。
「FIRE」「生茶」など、ヒット商品を次々手がけるマーケターから、キリンビバレッジ社長に就任。2016年には一転、老舗スナックメーカー 湖池屋のトップに就いた佐藤章氏。飲料からスナック菓子へと活動の場が変わっても、市場にインパクトを与える施策を連発し続けている。
キリン時代に培ったマーケターとしての考え方やスキルが、現在の佐藤さんの経営スタイルにどのように生かされているのか。そして、現代に求められるマーケター像とは何か、話を聞いた(全4回)。
「FIRE」「生茶」など、ヒット商品を次々手がけるマーケターから、キリンビバレッジ社長に就任。2016年には一転、老舗スナックメーカー 湖池屋のトップに就いた佐藤章氏。飲料からスナック菓子へと活動の場が変わっても、市場にインパクトを与える施策を連発し続けている。
キリン時代に培ったマーケターとしての考え方やスキルが、現在の佐藤さんの経営スタイルにどのように生かされているのか。そして、現代に求められるマーケター像とは何か、話を聞いた(全4回)。
キリン時代の打ち手は、ほとんど使えない
湖池屋 代表取締役社長
佐藤章(さとう・あきら) 1959年、東京都生まれ。82年、早稲田大学法学部を卒業後、キリンビールに入社。97年にキリンビバレッジ商品企画部に出向。99年に発売された缶コーヒー「FIRE」を皮切りに、「生茶」「聞茶」「アミノサプリ」など、年間1000万ケースを超える大ヒットを連発。2008年にキリンビールに戻り、九州統括本部長などを経て、14年にキリンビバレッジ社長に就任。16年にフレンテ(現・湖池屋)執行役員兼日清食品ホールディングス執行役員に転じ、同年9月から現職。
佐藤章(さとう・あきら) 1959年、東京都生まれ。82年、早稲田大学法学部を卒業後、キリンビールに入社。97年にキリンビバレッジ商品企画部に出向。99年に発売された缶コーヒー「FIRE」を皮切りに、「生茶」「聞茶」「アミノサプリ」など、年間1000万ケースを超える大ヒットを連発。2008年にキリンビールに戻り、九州統括本部長などを経て、14年にキリンビバレッジ社長に就任。16年にフレンテ(現・湖池屋)執行役員兼日清食品ホールディングス執行役員に転じ、同年9月から現職。
——新卒でキリンビールに入社し、キリンビバレッジ社長を経て、現在は湖池屋の社長に。「新生・湖池屋」の名の下で、これまでにない施策を次々と打ち出されていますね。
昨今のマーケティング環境は、変化のスピードが非常に速く、旧態依然とした意識や方法論では、もはや立ち行かなくなっています。
過去の成功体験を振り払い、積極的にアンラーニング(学習した知識を意図的に捨て、新たに学び直すこと)の意識を持ち、マーケティングの新しい切り口をどんどん見つけていかないと、エグゼキューションの質が上がっていきません。
私自身、キリン時代に経験した打ち手は、いまはほとんど使えないと感じているんです。何しろ、湖池屋にはキリンと違って潤沢な広告費がありませんから、マス広告を使わずに、いかに世の中に対して湖池屋の価値や魅力を表明していくか必死で考えています。
読売巨人軍やB’zとのコラボレーション商品の開発(「GIANTS PRIDE POTATO 濃厚のり塩」、「B’z PRIDE POTATO 濃厚のり塩」など)も、そのひとつ。人の関心をメディアとして活用するマーケティングに切り替えて、いまの時代に合った企業と感じてもらえるよう取り組んでいます。
最近、「新生・湖池屋」を旗印に進めてきたリブランディングプロジェクトの成果が少しずつ見えてきています。例えば、5月に発表された「働いてみたい注目成長企業2019」(ランスタッド発表)で、湖池屋が初代1位に選出されたのは嬉しいニュースのひとつです。
なぜリブランディングが必要だったのか。それは、変わらなければ、生き残ることができないからです。嬉しいことに、「スナックが嫌い」という人はめったにいませんが、2017年に「カール」(明治)が東日本エリアで販売終了するなど、誰もが知るロングセラーブランドの終売もあり、安穏としてはいられない部分もあります。
その背景には、世の中のさまざまな変化があります。例えば、移動しながらちょっとつまめるものや、食事の代わりに小腹を満たせるようなものを求める“食べ逃し需要”が注目されています。さらに、かつては1日3食、内食・外食しかなかったところに「中食」が生まれました。こうした変化は、恐ろしいものです。
そうした変化にスピーディーに対応し、お客さまが食べたいものを提供し続ける。工場を抱える僕らメーカーにとって、既存商品をガラリと変化させることは容易ではありませんが、中身の品質と容器の組み合わせ方でバリエーションを持たせ、製品ポートフォリオを組んでいくことが重要だと考えています。
例えば、お菓子の容器として典型的なピロー包装をカップに変えるだけで、その商品は「皆でワイワイ食べるもの」から「趣味や仕事のお供に、自分だけで食べるもの」へと変わります。
プロダクトの品質と容器の両面から、お客さまの食指を動かす切り口を考え続ける。キリン時代から変わらず、マーケターとしてやってきたことのひとつです。