連載「世耕さん、広報の魅力って何ですか?」 #01
日大アメフト問題の広報対応、同じ大学としてどう見たのか【近畿大学 世耕石弘氏の視点①】
「記者会見は怖い」−なぜ、あの発言にいたったのか
前職から広報という仕事に18年間接してきて、不本意ながら謝罪会見を数多く経験した。これは不祥事の多い組織に属したという訳ではなく、私の属した組織が広報の重要性を理解し、ネガティブな事実も積極的に開示し、必要とあらば記者会見を適時開く姿勢であったからだ。同業他社・他大学が同様のケースでも、情報を開示せずに会見を免れた事実も多く知っているが、私の矜持としては会見を開くようにしている。ただし、ネガティブな案件での記者会見は、何度経験しても相当な緊張状態になる。急に呼び出された記者は、不機嫌な表情で会見場に現れ、最も聞かれたくない質問をズバズバと投げかけてくる。しかも、言葉の伝え方も厳しい。ときには、喧嘩腰に乱暴な言葉を浴びせてくることもある。
そうした場面で最も注意することは、会見でも説明者が心理的に混乱しないことである。綿密に用意された想定問答に従って誠実に質問に答え、終始真摯に対応することが重要であるが、フラッシュを浴び、自分の子供のような年齢の記者から厳しい質問を投げかけられ続けると、それができなくなり不用意な発言をしてしまう。
ネガティブな記者会見は、普通の人にとって一生経験することはないはずであり、心理的に混乱してしまうのも当然である。だからこそ危機管理広報に精通した広報担当者がしっかりサポートしなければならない。今回、日大の広報担当者の言動が問題視されたが、その人の経歴を見ると危機管理広報を熟知しているはずである。しかし、本来会見場内で最も冷静であるべき人が、あのような発言に至ったことは、実は分からなくもない。
断片的な情報から想像するに、あの発言に至るまでにテレビなどで報道されていない場面で、記者と相当な押し問答があったのだと思う。そして、組織内での調整や会見準備のために睡眠時間を削ったうえで、経験したことのない規模の記者会見。あの時点で相当な疲労状態にあり、“キレて”しまったのではないだろうか。決してあってはならないことだが、広報担当も所詮人間であり、修羅場で自分の精神状態をフラットに保つことがいかに難しいことなのか、私に知らしめてくれた。
「記者も人間である」ことを意識する
広報の達人と言われた人に、かつて「広報は組織と社会の間に立たなければならない。それでも必ず組織寄りになってしまうため、もう半歩、社会の側に立って丁度いい」と教えられた。まさに、あの修羅場ではそうあるべきであり、そうすることで自らも冷静に対応できたのではないだろうか。異論もあるだろうが、少なくとも初めから記者相手に喧嘩をするつもりなら、そもそも記者会見を開かなかったであろう。私はネガティブな会見で、もうひとつ意識していることがある。それは、「記者も人間である」ということだ。急に会見で呼び出されると、その日の予定が吹っ飛んでしまう。山ほど処理しなければならない仕事があったのかもしれない。若い記者であれば、楽しみにしていた恋人とのデートもあったであろう。当然、不機嫌にもなる。
また、彼らは決して説明者の糾弾が仕事ではなく、記事になるネタを取りに来ている。記者会見で「お答えできない」を連発すると仕事にならず、さらに不機嫌になる。そして、会見場が「狭い」「暑い」、長時間でも「水もでない」「声が聞き取りにくい」など様々な要因が重なると、件の会見のような修羅場と化す可能性が高くなる。
広報担当は「記者を怒らせない」という視点よりも、自分はもちろん説明者や質問者が心理的に混乱しない環境の保持という視点に立たなければならない。
<後編「スポーツの恐ろしさ」は、こちら>
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