RYUKYU note #01

「元祖 紅いもタルト」が、沖縄の定番お土産になるまでの知られざるストーリー

 沖縄県は、土地柄や歴史的背景が本土と大きな違いがあることから、ビジネスの進め方も従来の方法では、うまくいかないケースがあります。新連載「RYUKYU note」では、沖縄で活躍する経営者やマーケターをバトンリレー形式でインタビューし、そのサクセスストーリーの裏側にある秘話や、沖縄ならではの戦略や課題、未来の成長に繋がるストーリーをひも解いていきます。

第1回に登場するのは、沖縄土産として有名な「紅いもタルト」を生み出した御菓子御殿の代表取締役社長 澤岻英樹氏と、その妻である専務取締役 澤岻千秋氏。紅いもタルトが生まれた経緯や爆発的にヒットしたきっかけ、大事にしている哲学などをたっぷりと聞きました。
 

一村一品運動をきっかけに紅いも菓子を開発


――紅いもタルトは現在、沖縄土産としてさまざまな会社が発売する人気商品ですが、その元祖は御菓子御殿だと聞きました。そもそも紅いもタルトはどのような経緯で生まれたのでしょうか。

社長 紅いもタルトが生まれたのは昭和61年(1986年)ですが、その当時、村おこしを目的とした「一村一品運動」が全国に広がっていました。我われが本社を置く沖縄県読谷村も例外でなく、商工会の事務局長から創業者である会長(澤岻カズ子 氏)に村おこしのため特産品の紅いもを使ったお菓子がつくれないかと、依頼を受けたのがはじまりです。ただ、当時は、ほかの商品の製造で忙しく、芋でお菓子をつくったこともなかったため、最初は「できない」と断っていました。
 
御菓子御殿 代表取締役社長 澤岻英樹氏

専務 その頃の読谷村には、当社を含めて菓子店が2軒しかなく、事務局長が当社の会長の後輩だったこともあって話が来たんです。でも、特産品に紅いもと言われてもピンとこなくて・・・。私たちが小学校の頃はおやつとして蒸した紅いもを食べることもありましたが、当時は、お菓子になるなんて考えられなかったことでした。

社長 ただ、開発に着手してからは、商品ができるのは早かったですよ。紅いもタルトは最初にできた商品のひとつで、そのほかにも軽羹(かるかん)やシュークリームなどもつくりました。
 
元祖 紅いもタルト

そのときにつくった商品は、今も多くが残っています。売り出してからは、読谷村商工会や役場が率先してマスコミを呼んで取り上げてもらったり、産業祭りで県知事賞をもらったりして、県内では「紅いものお菓子っておもしろいね」と話題になりましたね。

でも、売れていたかと言えば、実はそんなに売れてはいなかったんです(笑)。一村一品運動の成功例として県内や県外から視察にいらっしゃるんですが、その視察のときも創業者自らが畑に行って、実演用の芋の仕入をしているぐらいに売れていなかったんですね。

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