解説・ビリー・アイリッシュ 日本でヒットさせたマーケティング戦略 #01

日本でのヒットは難しいと思われた、ビリー・アイリッシュ。なぜ成功できたのか、軌跡を振り返る

 グラミー賞の主要4部門を史上最年少で制覇したシンガーソングライターであり、次世代のポップカルチャーのアイコンとしても注目を集めるBillie Eilish(ビリー・アイリッシュ)。世界での熱狂を追いかける形で、日本でも若年層を中心に、急速に注目が高まりつつあります。

 日本の若者の“洋楽離れ”が言われる中で、またCDからダウンロード、そしてストリーミングへとビジネスモデルの大変革の最中にある音楽業界で、どのようにビリーを“成功”へと導いたのか。本記事では、2017年に始まった一連のマーケティング施策を5つのフェーズに分けて振り返り、ヒットの鍵を考察します(第1回/全3回)。
 

ビリー・アイリッシュは難しい“商材”だった 


 2020年1月に開催された「第62回グラミー賞」。当時18歳という史上最年少で、年間優秀レコード・年間優秀アルバム・年間優秀楽曲・最優秀新人賞の主要4部門を独占(最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞を含め、計5部門受賞)したBillie Eilish(ビリー・アイリッシュ)。
 
Billie Eilish(ビリー・アイリッシュ)

 音楽はもちろん、オーバーサイズの服やネオンカラーのヘアカラーなどファッション領域でも高い支持を得ており、政治や社会、地球環境などに関する発言にも注目が集まる。まさに次世代を象徴する存在となったアーティストだ。

 日本でも、グラミー賞受賞をきっかけに彼女を知った人、より一層注目するようになった人は多いだろう。しかし、日本の音楽市場にビリーを送り込むための取り組みは、実は今から3年前、2017年から着々と進められていた。

 そんなビリーの、日本での成功の道筋を拓いたのがユニバーサルミュージック。これまでもアリアナ・グランデやマルーン5、レディー・ガガなど数多くの洋楽アーティストを日本での成功に導いてきた。しかし、マーケティング戦略を統括する佐藤宙氏は、ビリーについて「当初は、日本でヒットさせるのは難しいと感じた」と振り返る。

佐藤 インタースコープ(編集部注:米ユニバーサルミュージックのレコードレーベル)からビリーをプレゼンされたのは2017年。アデル、ビヨンセがグラミー賞を獲り、ブルーノ・マーズ、エド・シーランが勢いを増してきた頃で、音楽業界のトレンドを一言で言うと「ポップス全盛期」でした。ビリーのサウンドは、いわゆるポップスではなく、ジャンルにあてはめるならオルタナティブ。歌詞も、彼女の個人的な感情が非常に強く表れていて、ダークな要素を持つものが多い。これまでの歴史と当時のトレンドを踏まえると「日本では受けない」要素が揃っていたと言えます。
 
佐藤宙(さとう・ひろし)
ユニバーサルミュージックインターナショナル マーケティング第1部 本部長 兼 アーティスト&メディア・リレーション部 部長
 1998年 旧ユニバーサルビクター入社、洋楽宣伝を担当。2001年より現ユニバーサルミュージック インターナショナルで制作編成を担当。2007年チーフ・マーケティング・マネージャー、その後デジタルマーケティング統括、マーケティング部部長を経て、2018年より現職。マルーン5、アヴィーチー、テイラー・スウィフト、アリアナ・グランデなどの多数のプロジェクトを率いる。

 もちろん、ひとりのアーティストが生み出す音楽はじつに多様で、その音楽性を一面的に解釈してラベリングするべきではないだろう。しかし、ビリーの音楽にはダークでメランコリックな世界観を持つものが多いのは確か。アーティストが音楽ビジネスにおける“商材”だとすれば、こと日本においては、ビリー・アイリッシュは売るためにいくつもの工夫が求められる難しい“商材”だったのだ。

 音楽業界はCDからダウンロード、そしてストリーミングへとビジネスモデルの大変革の最中にあり、マーケティング戦略もそれを前提に策定・実行することが求められている。加えて日本の音楽業界は、若者の“洋楽離れ”が言われるようになって久しい。こうした逆境の中で、ユニバーサルミュージックは、いかにしてビリーを“成功”へと導いたのか。
 

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