解説・ビリー・アイリッシュ 日本でヒットさせたマーケティング戦略 #01

日本でのヒットは難しいと思われた、ビリー・アイリッシュ。なぜ成功できたのか、軌跡を振り返る

 

フェーズ1:パーソナル・リレーションの構築


 2017年~現在、そして今後の展望を含めて、ビリー・アイリッシュが日本の音楽市場で受け入れられ、ポジションを確立するまでの軌跡を振り返ると、5つのフェーズに分けられる。2017~2018年の「フェーズ1・2」、2019年のフェーズ「3・4」、そして2020年以降の「フェーズ5」。

 中でも特に重要だったのが、フェーズ1で行った「パーソナル・コミュニケーション」だった。アーティスト本人や、それを取り巻くキーパーソンとのリレーションを構築することである。これを初期段階で行ったことが、奏功したと佐藤氏は話す。

佐藤 ごく基本的で当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、アーティストやマネジメントとの強固な関係性を構築できたことが、日本でのヒットを実現する最大の鍵になりました。これは、エンターテインメントビジネスのマーケティングの特徴のひとつかもしれません。

というのも、私たちが扱う“商材”であるアーティストやマネジメントは「心」を持っている。彼らは、自分の芸術性を作品として具現化し、アピールする主体的な存在です。アーティストの承諾や積極的な関与なしに、効果的なマーケティング施策は実行できません。アーティストとマネジメントとマーケティング、この三者の互いに対する信頼が、すべての起点になるのです。

継続的な関係構築に努めつつ、ティッピングポイント(物事がある一定の閾値を超えると一気に全体に広まっていく際の、閾値やその時期・時点)を迎えたタイミングでマーケティング戦略のロードマップを作成し、データに基づくマーケティングを徹底する。この2つの融合が、ビリー・アイリッシュの今の姿をつくり上げたと言えます。




 前述のとおり、ビリーはそもそも日本で売るのが難しい“商材”だった。それにも関わらず、佐藤氏を思いとどまらせたものは、ビリーのマネージャーであるジャスティン・ラブライナーの熱量だった。

 当時20代前半だったジャスティンは、ときに米国・ユニーバーサルのレーベル「インタースコープ」を介さずダイレクトに、佐藤氏にコンタクトしてきた。「ビリーを日本でヒットさせるために必要なことは何か?」とディスカッションの機会を求める積極的な姿勢や、ソーシャルメディアを含むあらゆる手段を用いてさまざまな領域の企業・人と次々にリレーションを築いていく様は圧巻だったという。

佐藤 2014年にグラミー賞を受賞したLorde(編集部注:ロード。13歳でユニバーサルミュージックと契約したニュージーランド出身のシンガーソングライター。第56回グラミー賞で最優秀楽曲賞、最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス賞を受賞)も、ビリーと同じくオルタナティブに分類されますが、日本での状況は少し違いました。ティーンエイジャーの思いを表現する音楽は、英語圏ではない日本では自ずとサウンド重視で評価される。そのサウンドが日本で受けにくい性質のものなので、時間がかかるのは必至と思いました。

当初の私はかなり冷たい反応をしていたと思います(笑)。それでも、ジャスティンが自らの言葉・方法でビリーの魅力を伝えようと試みる姿勢には心を掴まれました。また、音楽だけではなくファッション領域のキーパーソンにも直接アプローチして、ビリーを売っていくための手段や人的ネットワークを構築していく様子も、これからの音楽業界の新しいあり方を目の当たりにしたような、新鮮な驚きを感じました。


 翌2018年初頭、佐藤氏はビリーのショーケースを見るためにLAに向かった。そして、「まずは彼女を日本に呼んで、日本の若者がどんな反応を示すのか見てみよう」と、テストマーケティングも兼ねたビリーの初来日に向けて動き始めた。それが早々に実現したのが、その年の8月に開催された「SUMMER SONIC」への出演だった。

 かくして、ビリー・アイリッシュのマーケティング戦略は、ほかのアーティストとは異なる彼女の魅力や特徴、日本における市場性、ヒットするための課題などを関係者間ですり合わせ、理解を深めるインナーマーケティングからスタートした。

 マネージャーとの直接的なコミュニケーションを重ねながら、アーティスト本人と日本のマネジメントチームの関係性を構築し、“チーム”しての基盤を固めていく。この初期フェーズは、どんなアーティストのどんな楽曲を展開していく上でも、必要不可欠かつ最重要なプロセスと言える。

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