マーケターズロード 鹿毛康司 #04
最初から御膳立てされた、ステージなんて誰にもない―鹿毛康司
2020/08/21
- 前回の記事:
- 鹿毛康司の人生を変えた人、糸井重里、鈴木喬。
宣伝部長になって驚いた「業界の構図」
鹿毛康司(かげ・こうじ) 1959年福岡県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、雪印乳業(現・雪印メグミルク)に入社。ドレクセル大学にてMBA取得(マーケティング、国際ビジネス)。帰国後、同社の営業改革を担当。2000年の雪印集団食中毒事件、2001年の牛肉偽装事件における被害者・マスコミ対応の前線に立つ。その後、2003年にエステー入社。15年にわたりコミュニケーション領域の責任者として活動し、戦略づくりだけでなく、プランナー、CM監督、コピーライター、作詞作曲家として独自のスタイルを築く。2011年の東日本大震災直後に手がけた「消臭力CM」は好感度日本1位を獲得(CM総合研究所11年8月)。ACC Gold、マーケターオブザイヤー(MCEI)、WEB人貢献賞など受賞。2020年かげこうじ事務所設立。
雪印という大企業から小粒のエステーに転職して、たくさんの驚きがありました。皆さん驚かれるでしょうが、エステーは一部上場のきちんとした企業だけれど、従業員は500人規模の中堅企業です。
広告の予算規模も競合企業の10分の1程度で、広告業界内での扱いはどうしても弱くなるのは当然です。巨大企業の宣伝をする人はひと握りですから、多くの人は私と同じ経験をしていると思いますが、予算が少ないというのは必要以上に大変だと痛感する出来事もたくさんありました。
今だから言えることですが、某広告会社のとある20代の女性マーケターさんが、会議中にエステーの社員にすごい暴言を吐いたんですよ。「エステーさん、もっとブランドのことを勉強してください」と。他の社員は大人だからじっと我慢していましたが、私は怒りましたよね。「君こそブランドのことを勉強し直しなさい」と帰っていただきました。
また、宣伝部長になって、いきなりヒットCMを世に出したことで、講演会にスピーカーとして呼ばれたときのこと。巨大企業の宣伝部門の役員さんがいて、名刺交換させてもらったところ「ああ、雑誌で拝見したことありますね。まあ、頑張ってください」と、確実に上目線で去っていかれたこともありました。
ほかにも、あるとき私のコメントがインターネット上で紹介されていたんですが、それを見た業界人らしき匿名さんが「しかし、エステーごときが広告を語るかよ」と書き込んでいたり。
広告会社からもエステーの予算やトイレ周りの商材の広告には、「出演者が決まりにくい」と言われていました。
今でこそエステーの広告は認められてきましたが、規模が小さいだけでこんな扱いをされるんだと思うと、燃えましたね。いつか周りから一緒に仕事をしたいと言われるだけの広告力をつけて、本気で仕事のできるパートナーシップを築かなければと思わされました。
それに20年前、この業界はとても古い商習慣で、ゴルフや接待が多かったと思います。そんななか私は、ほとんどのお誘いをお断りすることから始めました。それを受けたら、真っ当なことを言えなくなる。そりゃあ、周りの方は仕事をやりにくかったでしょうし、私のことを嫌がっていましたよ。正しいか、正しくないかのストレートトークなわけですから。
小粒の企業が予算並のパフォーマンスをしているのでは、何もコトは起きない。まずは正々堂々と発言するために身を綺麗にして、業界で嫌われる存在になることを決めたのは、そんな理由からです。しかし、その分、世の中でパフォーマンスを発揮しないと、ただの「嫌なおっさん」で終わってしまうぞと内心思っていたりもしました(笑)。
これが私の宣伝部長としてのスタートでした。僕は基本的に小心者なんですが、小心者が覚悟を決めると、大きなことができるんじゃないかと思ったわけです。