RYUKYU note #05

知る人ぞ知る、沖縄高級ホテル「百名伽藍」。広告費かけず、数年先まで予約が埋まる理由

 

過去の教訓を生かし、観光に頼らない事業設計に


――売上を見ると、2000年の12億円から、2018年には60億円まで伸びていますよね。6つの事業の中で、どの事業が成長したのでしょうか。

 伸び率が高かったのは、ホテル事業です。ですが、主力は今でも外食事業で、以前に比べて比率は下がってきたとはいえ、いまだに売上の6割強を占めています。

――では、新型コロナによる影響も大きかったのでは?

 はい。4、5月は店舗をほとんど閉めていたため、外食事業の売上は壊滅的でした。ただ、観光だけに頼っていると苦しいというのは、9.11のアメリカ同時多発テロのときに経験しています。



 そうならないよう、ある程度地元の外食の比率や宅配事業などを持ちつつ、観光の売上が全体の一定以上を占めると、ほかの事業も強化して事業のバランスを保てるように努めてきました。今回は、その成果が如実に表れ、観光向けの店舗が落ち込む代わりに、宅配が非常に伸びました。

 また、貿易事業も伸びています。台湾、香港、マカオをメインにしているのですが、どの国でも外出を控えているので、冷凍食品のニーズが高まっているんです。


 

沖縄の文化を体現したホテル「百名伽藍」


――ホテル「百名伽藍」について詳しくお聞きしたいのですが、そもそもホテル事業に進出しようと考えたのは、なぜですか。

 ホテル事業への進出を考えたのは、オープンした2012年よりもさらに10年ほど前のことです。そのころには外食が40店舗くらいに拡大し、多くの料理人やサービススタッフを社員として抱えるなかで、大きな目標をつくってあげたいと考えるようになりました。それが、サービス業として高いスキルを求められるホテルです。また、飲食業で観光に携わっていた我われとしても、ホテルは武器として持っておきたい事業のひとつでした。

 もうひとつ大きな理由として、それまでの沖縄のリゾートホテルはハワイ風やバリ風、地中海風など、外国風のものばかりで沖縄文化を発信するホテルがありませんでした。会社の理念にもあるように、沖縄の文化をとにかく体現したホテルをつくりたいと考えたんです。
 
ホテル「百名伽藍」

――では、初めからビジョンは決まっていたのですね。

 私の父が昔から構想していたものが形になったということです。そのためにも絶対に譲れなかったのが、ホテルの建設場所。百名伽藍は、琉球創世神話で琉球開闢の神であるアマミキヨが上陸したとされる土地に建てました。沖縄のリゾート地といえば恩納村が有名ですが、経営戦略としても差別化できると考えました。

 神聖な場所だけに、土地の購入は困難でしたが、それでも足しげく通い詰めて、あきらめかけたころにようやく話が動き出しました。その後、地元の方の許認可申請を得ながら、少しずつ土地を購入させていただき、10年の月日をかけて完成しました。



 ホテルの内装をつくる際には沖縄の文化を徹底的に勉強し、世界中のホテルをモデルにするのではなく、神社仏閣などを参考にしました。もともと当社には、沖縄の文化を発信するために沖縄の歴史の本やコンテンツをつくる部署として、デザイン企画部があります。そこに美大の卒業生が何人か入社していたため、内装や壁画はすべて内製しました。



――ターゲットは、どのような層を考えていたのですか。

 オープン当初は、インバウンドもいまほどの盛り上がりはなく、そこまで意識していませんでした。当時の調査では、沖縄に来る観光客の7割が羽田離発着の方で、さらにそのうちの7割が2回以上のリピーター。当社は国際通りでも飲食店をしているので分かるのですが、リピーターほど国際通りには寄らず、ディープな場所を回ります。この場所なら、そうした方々をターゲットにすれば、絶対に成功すると確信していました。

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