マーケターズロード 鹿毛康司 #06
「ここに鹿毛康司あり」 快進撃のエステー広告はコンテンツマーケティングだった
2020/09/24
自ら出演!?「高田鳥場」は苦肉の策として生まれた
私の在籍中、エステーに潤沢な予算はありませんでした。
ですが2007年、「自動でシュパッと消臭プラグ」を売るとき、類似商品を販売する競合が、大量の資本を使ってテレビCMを投入するという噂を聞きつけました。無論予算がないからと、ただ黙って見ているわけにはいけません。
まるで桶狭間の戦いです。CMを大量投下できない私は、何かの社会現象を起こして商品を知ってもらうことを考えました。ふと、有名人を起用するのがCMである一方、「CMが人を有名にする」ということに目をつけました。誰か身内をCMで有名にして、色々なコンテンツ活動にタダ働きさせようと考え付いたわけです。
でも、そう簡単にそんな都合の良い人は見つからないので、自分が出演することになります(笑)。とは言っても、会社のお金を使って「自分を有名にしている」公私混同な奴と思われたくないので、被りものをして顔を隠し、本社の所在地「高田馬場」の「馬」を「鳥」に変えた「高田鳥場(たかだのとりば)」という名前にします。こうしてエステーの特命宣伝部長、高田鳥場が出来上がりました。
CMでリーチするだけのメディアバイイングはできないので、そこから離れた何かの社会現象を起こすことを大切にしました。いろいろ考えたのですが、このときにやったのは本を出すこと。
『特命宣伝部長 高田鳥場―ほんのり香る、広告のにおい。』(誠文堂新光社)です。サブカルをテーマに動くことを検討したわけです。自費出版ではなく商業出版にこだわりました。これが正しく社会のコンテンツになれば、コマーシャリズムから一線飛び出してムーブメントをつくれると思ったのです。
CM業界の監督やカメラマンさん、コピーライターさんたちに、「高田鳥場を料理してください」と頼み、彼らのクリエイティブを集めた写真集ならぬアイデア集にします。そこから様々なメディアにアプローチしていきました。
福島民友新聞の『奥の細道』というコラムからネットニュース、さらには、地方の報道バラエティ番組のコメンテイターとして1時間出演したりと、彼を全国に使いまわしました。彼は「疲れた」といっておりましたが(笑)。
「出たがり」と揶揄もされたけど、競合商品に勝つために必死でした。高田鳥場の一連の取り組みは、当時はまだその言葉が今ほど流行していなかったコンテンツマーケティングだと思っています。達成すべきことを先に考えて、そのあとで、それにふさわしいツールとして本、CM、パブリシティを採用していくという思考です。