クリエイティブ
【追悼】 岡康道は冗談のように死んだ。 小田桐昭
TUGBOAT 代表であるクリエイティブディレクターの岡康道氏が2020年7月31日に亡くなったことを受け、岡氏が師と仰いだ小田桐昭氏(小田桐昭事務所)に追悼文を寄せていただきました。岡氏のご冥福をお祈りいたします。
岡康道に「ウソ日記」というものがあるらしく、いかにも本当らしく書きながら、自分を中心とした物語にしてしまう、都合のいい日記らしい。
しかし、これも本人が言っていたことなので、それさえ本当かどうかわからない。つまり、日記さえ、他人に読まれることを前提に書いていたというのだ。こっそり、盗み見した、母親か誰かがびっくり仰天するのを想像してはほくそ笑んでいたのだろう。
父親が、借金を踏み倒して失踪し、岡自身が暴力団まがいの借金取りに追いかけられていた時でさえ、あゝこれで僕にも「物語り」が出来たと喜んだという。
あんなに、何もかもが格好良くて、人から羨まれるほどの岡康道が僕たちに話をする時は自分の情けなさや悲惨な目にあったことをすぐに笑い話にして大笑いさせてくれる。どこまでがウソで、どこまでがホントウなのか分からない。でも、本当にそれが面白いのだ。
岡が亡くなったと聞いてときに、すぐに冗談だろうと思った。きっとその後に、大笑いするような失敗談をまた話してくれるのだろうと。
ほんの数日前に、病院から「もう大丈夫」というメールが事務所に届いたし、ゴルフや麻雀をTUGBOATの人たちの目を盗んでやっているらしいということも聞いていたので、しばらくは何が起こったのか分からず、ぼうっとして信じることが出来なかった。
岡康道が、営業から転局して僕の部へ来て、もう何年になるだろう。
僕が電通を卒業するまで、岡は僕の所へ仕上がったフィルムをせっせと持ってきて、僕のブツブツを黙って聞いては帰ることをくり返していた。褒めたことはあまりなかったけれど、岡のフィルムを見るのは好きだった。
誰もが心に抱えている「不安」がいつもテーマで、その不安は解消されていないが、どこかにクスリと笑ってしまう所があって、それが僕は好きだった。
悲しいことも、不安もそんなにカンタンには解決されない、でもどこかで、折り合いをつけなければ生きてゆけない、それが岡康道だったのか、どうかは分からない。
岡康道がいなくなって、日本の広告がなんだか貧乏くさくならなければいいが、と思う。
結構、臆病な所があった岡だから、治療中の薬で眠ったまゝ亡くなったのは、せめてもの幸いだったと思う。
何よりも岡康道自身が、今でも自分が死んだと思っていないのではないか。「小田桐さん、実は、僕は死にかけて、その時に・・・・」とほくそ笑みながら話しかける岡が、僕のそばにまだいるような気がする。
小田桐 昭
電通入社以来約40年間、松下電器、国鉄、東京海上、資生堂、トヨタ自動車、サントリーなどのクリエイティブディレクションに従事。数度にわたるカンヌ広告祭での金賞・銀賞、IBA部門賞、CLIO賞、ACC(全日本CM放送連盟)グランプリなど、国内外で300以上の広告賞を受賞。イラストレーターとしても活躍、児童書の挿絵では読売児童文学賞や野間児童文学賞受賞に関った。東京アートディレクターズクラブ(AIDS)は、本人のアニメーションでカンヌ公共広告部門金賞に輝く。ACC杉山賞受賞。ACC会長賞受賞。ACC鈴木CM賞受賞。日本宣伝大賞山名賞受賞。ACCクリエ―ターズ殿堂。ADC殿堂、ADC、NYADC会員。金沢市立美術工芸大学 名誉客員教授。元オグルヴィ&メイザー・ジャパン 共同会長チーフクリエーティブオフィサー。