音部で「壁打ち」 – あなたの質問に答えます。 #22
音部さんが40歳の時に行っていたことで、今も活きている経験とは?
「ブランドマネージャーを1000人育成」ライフミッションが定まる
振り返ってみれば、私はP&Gで「引退まで勤め上げる」というキャリアをたどった先輩をひとりも見ておらず、27歳でブランドマネジャーになった頃から、社外でも通用するために何をすればいいのか考え始めていたように思います。
意識としては、社内の評価を超えて、社外から見ても分かるくらいのプロジェクトやブランドの成功を実現できるようになろうと、日々努力していたような気がします。
自ら望んだわけではなかったのですが、担当したアリエールもファブリーズもアテントもパンパースも市場シェアが下降中で、私はブランドの回復を担当することが多かったように思います。それが私には向いていたようで、そうした業務を担当できたことはとても幸運でした。
マーケティングディレクターになり、30歳を過ぎた辺りから気にしていたのは、直属の部下だけでなくマーケティング組織全体の育成です。
その頃には、ファブリーズは全世界で売上1000億円超えのブランドへと成長していました。当時のマーケティング戦略は我われのチームが神戸で開発したものです。そのあたりから、当時の私程度、つまり「“1000億円”規模のブランドを構築できるブランドマネジャーを“1000人”育成する」というライフミッションを持ち始めました。
1000億円ブランドを構築できるマーケターが1000人いれば、100兆円の売上が立ちます。これは日本の国家予算に相当する額ですから、実現できればマーケティングによる、いい社会貢献になるだろうと考えているんです。
そういうわけで、そのライフミッションに対し真剣かつ一生懸命に取り組みはじめ、それは今も続いています。