RYUKYU note #11後編

沖縄・みたのクリエイト田野治樹社長が語る、串カツ田中との提携の次の戦略

前回の記事:
串カツ田中にブランド譲渡で注目、沖縄・みたのクリエイトのコロナに打ち勝つ「経営戦略」
 沖縄県は土地柄や歴史的背景に本土と大きな違いがあることから、ビジネスの進め方も従来の方法では、うまくいかないケースがあります。連載「RYUKYU note」では沖縄で活躍する経営者やマーケターをバトンリレー形式でインタビューし、そのサクセスストーリーの裏側にある秘話や、沖縄ならではの戦略や課題、未来に繋がるストーリーをひも解いていきます。

第11回は、沖縄を中心に飲食店や店舗デザイン、メニュー立案などのクリエイティブを企画する、みたのクリエイトの代表取締役社長 田野治樹氏が登場。2016年にオープンした飲食店「鳥と卵の専門店 鳥玉」の沖縄県外での展開について、2020年に大手居酒屋チェーンの串カツ田中ホールディングスにブランド譲渡したことで注目を集めました。この提携の背景はじめ、田野氏がコロナ禍で描く経営戦略について詳しく、お話をうかがいました(前編は、こちら)。
 

驚きがなければ意味がない。クリエイティブ力が強みの飲食事業会社

――田野さんが独立するきっかけとなったバーの名前は「動く町 中城 冒険の国店」、そして2号店は「動く町 宜野湾 光の都市店」と、店名ひとつ取っても非常にユニークさを感じます。また、「5時間食べきれるまで帰れない」といった企画など、発想がとても斬新でが、このようなアイデアは、誰がどのように考えているのでしょうか。

 当社の理念は、「思いやりとサプライズ」です。常に思いやりを持ち、来店されるお客さまにはサプライズをしなさい、ということを徹底的に社員に伝えていて、店名にしろ、商品にしろ、メニューにしろ、お客さまが驚かないと意味がないと考えています。

 社風には「普通は死んだものと同じ」という考え方があって、誰かが普通のアイデアを出したら、「それ普通だね」と言うのがみんなの口癖になっているんです。

――それは、クリエイティブ制作も担っている御社だからできる強みですね。
 

 みたのクリエイトの強みは、0から1をつくることです。店舗やメニューはどこにでもある物をつくっても面白みがありません。クリエイティブな物をつくるということは、他にないアイデアを出さなければいけないので、日ごろから仕事に関係ない発想で物事を捉えています。

 何をするにしても基本を設計するのはクリエイティブな社員達なので、プライベートでは、Netflixをはじめ、HuluやTwitter、TikTok、YouTube、テレビなどあらゆるチャネルから情報をインプットすることに時間を割いていますね。私が考えたアイデアを2人のデザイナーに渡し、形にしてもらっています。

 

伝統を守り社員のスキルをアップさせる「優しい織田信長」

――田野さんがフレームを設計していくということは、社長がリードして進めていくという考えがあるかと思います。社内で意見を出し合って決めていくスタイルと違い、トップダウンで進める理由はなんでしょうか。

 私がリードして進めていくというのは、考え方というよりも、単純に経営者のタイプだと思います。性格上、徳川家康タイプにはなれませんでした。

 歴史を見ると、織田信長は早くに亡くなり、最終的には徳川家康が世を治めました。徳川家康タイプでなければ長期的には勝てないということは分かっていたのですが、努力してみたのです。でも、うまくいきませんでした。

 そういった経験もあり、織田信長タイプとしては「死ぬ前に引き際がある」と思っていて、7年後には会社運営の裏方に回ろうと考えています。

 ただ、織田信長タイプが何人もいればそれだけの短期的戦力になるという考えを持っているので、今は「みたのクリエイトの織田信長」となる人間を何人か育てているところです。

 ピラミッドの頂点に立ったひとりの織田信長タイプがいる構造だと、彼が死んだ時に組織が回らなくなるので、織田信長タイプが複数頂点にもいるような逆ピラミッドを描き、逆ピラミッドの一番下で手綱を持つ人材を据える組織をつくろうと考えています。

――社名の「みたのクリエイト」にも組織形成に関する意味が込められているのでしょうか。

 沖縄はほかの都道府県と違って先祖崇拝が非常に強く、子孫が代々家を受け継いでいく文化があります。
 

 田野家の本家は長男が継いでいるので、次男である私の父は「みーたの」と呼ばれます。「みー」とは、沖縄の方言で「新しい」という意味。つまり、「新しい田野」と書いて「みーたの」となります。そこから取った「みたのクリエイト」には、新しい田野をつくるという意味が込められているんです。

 つくると言っても、私はゼロイチが得意な分、1を100にするのは非常に不得意で、100や200の店舗を管理することができませんでした。そこで「店舗展開はやめる」判断をしたのです。

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