広報・PR #05

Google日本法人「退職パッケージ」にみる“ゆでガエル現象”

 

働き手として「気概」をもつ


 日本企業は、太平洋戦争後の高度経済成長期を経て、長年に渡り安定雇用を維持してきた。そうした日本的な雇用関係と比べると、欧米型は「ハイリスク・ハイリターン」であるようにも思える。従って「良い/悪い」ではなく、あくまで「一長一短」があるものだと、当時も今も理解している。

 だが、確かに言えることは、日本企業による長期雇用制度は、多くの企業においてすでに「崩壊」し始めていることだ。それにもかかわらず、「低待遇」のままでは「スジ」が通らない。90年代からの低成長期を経て、一部の日本企業の業績は復活しているにもかかわらず、多くの日本企業では低待遇のままであることはまったく腑に落ちない。

 一方で、GAFAに代表される「高待遇」は、企業内の新陳代謝(人員整理)というリスクにも耐え得るだけの実力がある人だけが得るのがスジだとも考えている。労働組合をつくること自体は違法ではないが、高待遇でありながら、ワーカー(労働者)として企業に守られる立場を全面に出すというのは、少々「虫が良すぎる」のではないかとも思ってしまう。

 間違えないで欲しいのは、働く条件は、常に企業側と社員とが相互に納得した上で事前に契約を交わすものであることだ。この取り決めに違反するのであれば、それは法律の話になる。日本の法律的には、労働組合をつくることは労働者の権利であり、契約にない解雇が行われれば違法に当たることは前提である。

  

 私は高待遇である企業で働く者の「気概」の問題として発言している。ひとつの企業内に安住することなく、自身が身につけているはずの世界トップクラスの「スキル(この言葉は嫌いだが一般にはそう呼ばれている)」を武器として「機を見るに敏」であって欲しいと願っている。

 “ゆでガエル”とならぬうちに、もっと高待遇の企業で新しいキャリアを自ら掴んでほしい。あるいは、自分にその「才がない」と見極めたのであれば、これまでのように無理に「高待遇」を求めなければ、人手不足の昨今、優秀なIT人材を必要としている企業は日本にいくらでもある。

 さすがに、終身雇用を求めることはもはや幻想に過ぎないかもしれないが、長期に渡って安定を与えてくれる環境を如才なく選択することも可能なはずだ。高待遇を前提に、新陳代謝を促進してきた業界に“ゆでガエル”が増えてしまっては、企業内の新陳代謝が悪くなることは間違いないだろう。これは資本主義の王道とは反してしまう。そして、そうした企業は、企業間の新陳代謝にさらされることになる。

「労働観」は個人によってさまざまではあるが、働き手として旬でいられる期間は限られている。特に、まだ若いうちは、働く者の「気概」を持ち続けたいと考える。
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