広報・PR #09

宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』は、マーケティング戦略と作家性の狭間を問うている

 

広報・宣伝PRの責務


 それでは、『君たちはどう生きるか』のマーケティング戦略と作家性の狭間について考えていこう。

 私は広報・PR戦略の専門家として、情報過多による視聴体験の破壊に気づいている。最近は、視聴者の関心を引きつけ、作品への期待感を高めるためにミステリー要素を強調する新たなコミュニケーション戦略が試されていることも多い。物語の「謎を解く」ことで視聴者の関心を引きつけ、期待感や緊張感を高める効果がある。犯人や犯行動機が最後まで明かされない推理小説や、結末を予測できないサスペンス映画などが当てはまる。

『君たちはどう生きるか』のマーケティング戦略は、事前に情報をあまり公開せずに作品に対する期待や興味を引き立てる手法だと解釈できる。物語の詳細や特定の要素をあえて明らかにしないことで、観客は何が起こるのか、どのようなテーマが描かれるのかを予測できず、この未知の部分が作品に対する好奇心を刺激する。

 ただし、観客を引きつけ、劇場やオンラインプラットフォームへの訪問者数を増加させるためには、物語の一部を公にすることが必要不可欠であるという現実もある。実際に、視聴者が事前にストーリーの一部を理解することにより、深い共感や感情の共有が可能になるケースがあるのだ。

 私は作品を体験する前の情報を意図的に制限し、ミステリー要素を強調するマーケティング手法が観客と作品、さらには社会全体との対話を阻害するリスクを考慮するべきだと考える。特に映画やドラマはエンターテインメントの手段であると同時に、社会的な意義やメッセージを伝える手段でもあり、作品を通して問題提起を行い、社会との対話を促す可能性も秘めている。ミステリー要素を重視するあまり、社会的・文化的な価値やメッセージが視聴者に伝わらないことも考えられる。

 そのため、今後はより効果的な広報・PRの必要性が議論されるだろう。「なぜ、この作品が現代社会で重要なのか?」という視点からのコミュニケーションが重要であり、過度な広報が作品自体の世界観を破壊するのを防ぐバランスが求められる。

 今回の議論の中心となった『君たちはどう生きるか』は、最終的に「作品を観てもらえば分かる」が真実かもしれない。しかし、映画の広報活動は単なる販売戦略以上のものであり、社会との対話を築く重要な手段である。広報活動を行う我々専門家は、ただ作品を「売る」だけでなく、視聴者との深い結び付きを模索し続けるべきなのだ。そして無数の選択肢の中からさまざまな方法でコミュニケーションを試み続けることが重要だと考える。

 それは私のような広報・PR活動に携わる者たちの役割であり、責任であり、そして「生き方」でもあると考えている。


 
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