新時代のエンタメ舞台裏~ヒットにつなげる旗手たち~ #06
「きゃりーぱみゅぱみゅ」と「新しい学校のリーダーズ」で世界を席巻 アソビシステム代表中川悠介氏の「できないことはない」思考
「できないことはない」
徳力 中川さんの中では学生時代からずっと「原宿文化を応援したい」という思いが一貫されていたんですね。それで、きゃりーさんはYouTubeを起点にメジャーデビューした訳ですが、当時はまだYouTubeにMVを上げる日本人アーティストはほとんどいなかった中で、新人としては異例の「フル尺」でアップされたのはなぜですか。CDの売上が下がる可能性もある試みですが。
中川 メジャーデビューの楽曲「PONPONPON」(2012年)は、グラフィックデザイナーの田向潤さんに協力をお願いするなど、限られた予算の大半をMVに集中させました。こだわり抜いて完成したMVを見て「このクリエイティビティは絶対に世界から評価される」と確信し、当初から世界展開を意識してYouTubeに公開しました。CDの売上のことなどは、あまり理解していなかったかも知れません。YouTubeなら世界で見られるし、これはもうフル尺で上げちゃっていいんじゃないか、という感じで。「世間がやっていないことをやろう」というよりは、「意味あることをしたい」という思いでした。
徳力 「素晴らしいものができたからみんなに見てほしい」ということだったのですね。その結果、海外で動画が拡散され、ケイティ・ペリーら海外セレブが話題にしたことで記録的な再生回数になりました。ピコ太郎の「PPAP」がジャスティン・ビーバーに見出されたことでブレイクした例もありますが、恐らくそういった事例は、いきなり有名アーティストに届いたわけでなく、小さなバズの波が積み重なっていったのでしょうね。
きゃりーぱみゅぱみゅ(出典:アソビシステム)
中川 そうですね。ケイティ・ペリーが話題にしてくれた当時、「誰にいくら払ったのか」などと聞かれましたが(笑)、本当にラッキーパンチでした。ただ、担当してくれたワーナーミュージックのチームがすごく良いチームで、いろいろな方面に拡散してくれたことで海外のインフルエンサーにも届いたのだと思います。良いクリエイティブをつくれば、お金とは関係なく支持してもらえると実感した出来事でしたね。
徳力 ビジネスをしていると、つい損しないようにビジネススキームを組み立ててしまいがちですが、クリエイティビティに全集中したことがヒットにつながったのですね。しかもその後すぐ、初めての海外ツアーをされています。勝算も何もなかったと聞きましたが本当ですか。
中川 それまで日本では、人気が定着してから海外ツアーに出るのが主流でしたが、きゃりーは2012年末に初めて紅白歌合戦に出て、次の瞬間にワールドツアーに打って出ました。チケットが確実に売れる見込みはありませんでしたが、僕はそれ以前にフランスの「Japan Expo」できゃりーの人気を目の当たりにしていたので、やってみる価値はあると思いました。
それに、日本人は結構、海外で流行しているものを好みます。ここはどんどん攻めて、海外のファンとも接点をつくることが「きゃりーぱみゅぱみゅ」というアーティストを長く生かし、日本での価値も上げることになると考えました。でも多分、当時の彼女からしたら「え?」だったと思います。
徳力 きゃりーさんでも「え?」ですか。
中川 やっぱり、日本でもまだメジャーデビューして間もないのに、海外の舞台に一人で立つなんて、不安じゃないですか。でも、彼女の凄さはそこを頑張りきる力を持っていることと、スタッフを信じてくれたことだと思います。ただ、当時20代後半だった僕も、事務所のスタッフも、誰もワールドツアーの経験など無かったので、最初はめちゃくちゃでした。オランダに着いた途端にスタッフがカメラを置き引きされたり、ホールに入った瞬間にヒューズが飛んだり、アクシンデントが続発。予算も無かったので、同行のスタッフやダンサーも最小限にしていたので、僕も着ぐるみを担いで持って行ったりしていましたね。
徳力 きゃりーさんはその後、世界を股にかけた「原宿kawaii」ムーブメントの先導者になりましたが、その背後では中川さんたちが徒手空拳で海外市場を切り開いていたんですね。中川さんはデジタル時代のエンターテインメントの課題解決に向けて、経済産業省のワーキングから発展した「デジタルエンタテインメントコンソーシアム」の発起人としてもご活躍されていて、「成功した人」というイメージを抱いていたので、驚きです。若くして、どうしてそこまで成長できたんでしょうか。
中川 僕は「できないことはない」と思っているのです。大学生の頃に聞いた「ノミの理論」というものがあります。ノミは大きな跳躍力を持っているのに、「天井」を設けてしまうと本来の力を発揮できず、それ以上飛べなくなってしまうという。ゴールを決めたらそこまでにしかならない。だからゴールを決めずに、常にブラッシュアップしていこうと、ずっと意識してきました。仕事とプライベートを切り分けるということもしてきませんでした。経営者としてはもちろん、分けないといけないと思いますが、自分の中では仕事になる以前に、カルチャーを応援することがライフスタイルになってしまっていたので。
徳力 中川さんの中では、好きなアーティストや文化がもっと評価されるべきだという思いが先にあって、一貫して応援し続けてきたわけですね。もはや趣味の延長とか仕事とかではなく、人生そのものだと。
中川 でも僕自身は、何もできないんですよ。歌えないし、踊れないし、デザインもできない。本当にアーティストたちのサポートの立場なんです。だからこそ僕は、マネージャーも単なる付き人ではなく、プロデューサーだと思っています。アーティスト本人が持つクリエイティビティを引き出すのが、事務所でありプロデューサーの仕事ですが、彼らを押し出す下準備と、タイミングの選び方はとても重要です。良いプロデュースのためには、スタッフはアーティストと対等でいる必要があると思っていて、社員にもそのような姿勢を求めています。
徳力 アソビシステムには、そういった“中川イズム”が浸透している。だからアーティストを伸ばすために「天井」を設けず、日本の常識に捉われないアプローチを考えることができるのでしょう。
中川 成功体験が一番の邪魔になると思っているので。
徳力 成功体験が一番の邪魔になる。その通りですね。
※後編に続きます。
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