グローバルマーケター進化論 #02前編
「味の素」を中国で売上10倍に伸ばした「現場の気づき」グローバルマーケター中島広数氏
今、世界的にビジネスにおけるマーケティングの役割が激しく変容している。広告コミュニケーションに留まらず、企業の価値を伝え、押し上げ、成長にダイレクトに貢献することがこれまで以上に求められる。本連載では、厳しさを増すグローバルマーケティングの世界で奮闘し、進化し続けるマーケターに焦点を当て、海外市場に対して独自の価値を発揮するために必要なものを探っていく。
第2回は味の素で20年間にわたり国内外の営業やマーケティングに従事し、現在はコンサルティングやマーケター育成を手掛ける中島広数氏に前編・後編にわたりインタビュー。前編は中島氏の中国での駐在経験を中心に、現場での気づきを生かして「味の素」の売上を10倍に押し上げた秘訣と、バリューチェーン全体をクリエイト・マネジメントするグローバルマーケターとしての極意を聞いた。
第2回は味の素で20年間にわたり国内外の営業やマーケティングに従事し、現在はコンサルティングやマーケター育成を手掛ける中島広数氏に前編・後編にわたりインタビュー。前編は中島氏の中国での駐在経験を中心に、現場での気づきを生かして「味の素」の売上を10倍に押し上げた秘訣と、バリューチェーン全体をクリエイト・マネジメントするグローバルマーケターとしての極意を聞いた。
現地人と疑われるほど溶け込んだ
―― グローバルマーケターとしての中島さんの出発点である味の素での中国駐在は、どのような経験だったのですか。
私は新卒で味の素に入社し、20代半ばに中国・広東省に営業のマネージャーとして赴任し、うま味調味料「味の素」を現地に売り込む仕事をしました。当時の会社の方針は、それまでの海外での成功体験をベースに、小売店に商品を届けて「味の素」を各家庭に浸透させようというものでした。
しかし、いくら現地の営業チームと一緒に市場を懸命に回っても、あまり売れません。そこで現地の実態をよく観察すると、中国、とりわけ広東省では、日本のように家で食事のおかずをあまりつくらないことに気づきました。夫婦共働きが当たり前で、おかずを市場で買って帰る「中食」や、「外食」が多かったのです。
そこで販売戦略を家庭用から、レストランなどの業務用を売り込む方針に転換しました。日本の本社に掛け合って海外仕様の454g「味の素」を新規導入し、外食市場のビジネスを本格化します。当時、現地の外食市場では「味の素」の廉価な偽物が出回っていて、本物の「味の素」はプレミアム感がありました。私は強い影響力を持つ問屋へのトップ営業をかけ、少し高価でも本物の「味の素」を使うように啓発し、商圏拡大を図りました。
その結果、有名レストランや大手レストランチェーンが業務用「味の素」を使ってくれるようになり、駐在4年目に帰任する頃には、広州支店の売上は赴任当初より10倍に伸びていたのです。
中島 広数 氏
freebee代表取締役/元味の素マーケティングマネージャー
東京外語大学外国語学部中国語学科卒業後、1998年から2018年まで味の素の海外事業・海外営業・国内外マーケティングに従事。うち4年間は中国、2年間はタイに駐在。2011年から5年間、「Cook Do」事業担当を務め、「Cook Do きょうの大皿」の事業開発を含めたリブランディングによる大幅事業拡大を手がけた。
2018年に事業コンサルティング・新事業/新商品開発・マーケター人材育成を主業務とするfreebeeを創業、代表取締役に就任。現在7期目。亜細亜大学アジア・国際経営戦略研究所非常勤講師、香港貿易発展局アドバイザー、本田事務所マーケティングディレクター、一般財団法人シャンティハウス評議員長等、複数の組織の要職を兼任。日本語・英語・中国語・広東語の4ヶ国語話者。2024年2月「グローバルで通用する『日本式』マーケティング」(日本能率協会マネジメントセンター)を刊行。
freebee代表取締役/元味の素マーケティングマネージャー
東京外語大学外国語学部中国語学科卒業後、1998年から2018年まで味の素の海外事業・海外営業・国内外マーケティングに従事。うち4年間は中国、2年間はタイに駐在。2011年から5年間、「Cook Do」事業担当を務め、「Cook Do きょうの大皿」の事業開発を含めたリブランディングによる大幅事業拡大を手がけた。
2018年に事業コンサルティング・新事業/新商品開発・マーケター人材育成を主業務とするfreebeeを創業、代表取締役に就任。現在7期目。亜細亜大学アジア・国際経営戦略研究所非常勤講師、香港貿易発展局アドバイザー、本田事務所マーケティングディレクター、一般財団法人シャンティハウス評議員長等、複数の組織の要職を兼任。日本語・英語・中国語・広東語の4ヶ国語話者。2024年2月「グローバルで通用する『日本式』マーケティング」(日本能率協会マネジメントセンター)を刊行。
―― 家庭用から外食用への戦略転換がうまくいった秘訣はなんでしょうか。
小さな違和感から芽生えた仮説を実行に移したことだと思います。マーケティング、特にグローバルマーケティングで新たな市場を切り開く時には、確実な正解などありません。私も最初から絶対の自信があったわけではなく、営業チームと一緒に市場を回り、現場で得た気づきから仮説を立てました。その仮説をとりあえず小さく検証してみることを繰り返すうちに、「こうすれば絶対にうまくいく」という確証に変わっていくのです。
この経験以後、私は「始まりはいつも仮説」が持論になりました。気になることや思いついたことをメモして「仮説アイデアリスト」を書きためておき、いざという時に参照できるようにしておくのです。
仮説は、オフィスで考えるだけでは立てられません。私は、日本企業のグローバルマーケターは元バックパッカーが向いているのではと思っています。汚れてもいい靴を履き、どこにでも行って現場を肌感覚で知ろうという意欲があったほうがいいからです。
私はもともと大学で北京語を勉強していたのですが、広東省で話される広東語は、最初は何を言っているかが何となく分かる程度でした。だから広東省随一の中山大学の教授を自腹で雇い、毎週土曜日に2時間勉強するということを、赴任している4年間続けました。 覚えたての広東語が通じるのが嬉しくて、ある時、空港のスタッフと広東語でやりとりしてみたら、別室に連れて行かれて取り調べられたこともあります。中国人が偽造パスポートを使っているのではと疑われたみたいでした。
現地の商人と広東語でやり合った時も「本当に日本人か」と疑われました。私の顔が濃いこともありますが、その後はパスポートのコピーを持ち歩くようになりました(笑)。
今では笑い話ですが、現地の人々と広東語で商談できたのは「味の素」の商圏拡大に大きく役立ちました。現地語ができると仲間意識やリスペクトが出て、色々と教えてもらえるようになります。「あそこにいい問屋がある」「お前のところの部下はこうだぞ」「実はあいつが不正をしている」なんて情報まで入ってくるようになるのです。英語や標準語ができればいいと考えるマーケターは多いかもしれませんが、少なくとも現地語を学ぶ意欲は見せたほうがいいと思います。