マーケターズ・ロード 笹本裕 #03

数字だけで市場は見えない、マイクロソフト時代に学んだマーケティングの教訓【DAZN Japan笹本裕】

 

起業と事業売却、そしてキャリアの再スタート


 リクルートには約10年間在籍し、最後の仕事は「AB-ROAD(エイビーロード)※現在ではサービス終了」という海外旅行情報のWebサイトのプロデュースでした。この仕事を通して情報誌からデジタルへの流れを感じる中で、インターネットで人々の生活を豊かにするビジネスが何かできないかと考えました。

 そして、共働き夫婦を支援するマッチングサービスを個人的に考え、事業計画書を作成していました。それが人づてに伝わり、クリエイティブリンクという会社を創業するきっかけになりました。しかし、インターネットバブルの崩壊もあって、最終的に事業を売却せざるを得ませんでした。その後、私はMTVジャパンに移りました。

 MTVジャパンとの縁は、リクルート時代の終盤に「次世代事業開発室」という部署に配属されたことがきっかけです。この部署はリクルートの出資案件を担当しており、さまざまな企業と接する機会がありました。その中のひとつにMTVジャパンがありました。当時を知る人からは「ミイラ取りがミイラになった」と言われます(笑)。

 当初はCOO(Chief Operating Officer:最高執行責任者)としてオペレーションを担当しました。MTVジャパンのCOOの業務は収益を上げることから会社の利益構造をつくることまで、幅広い業務を含みます。その1年後に事業が軌道に乗り始めたことで、全体の経営を担ってみないかという話があり、2年目から代表取締役に就任しました。MTVジャパンでは、その後も順調に収益を伸ばすことができ、満足のいく6年間を過ごすことができました。

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