マーケターズ・ロード 笹本裕 #03
数字だけで市場は見えない、マイクロソフト時代に学んだマーケティングの教訓【DAZN Japan笹本裕】
「イーロン・ショック」ならぬ「マイクロソフト・ショック」
―― 会社員からスタートし、起業を経験し、そこから他社で社長になるなど、順風満帆なキャリアを歩んできているように見えます。
確かに私の肩書きや経歴だけを見ると、順風満帆であたかも人生がうまくいっているように思われるかもしれません。しかし、実際は常に挫折の連続でした。
キャリアの転換期には挫折を伴うものです。Twitterもそうですし、リクルートから最初に起業したときもインターネットバブルの崩壊により挫折を経験しました。MTVジャパンでは6年間、継続的に右肩上がりの成長を続けられましたが、ケーブル放送だけではこのまま成長を続けていくことは難しいと、限界を感じました。
MTVジャパンではマイケル・ジャクソンを日本に招聘するなど、さまざまなアーティストのライブに仕事で行くことができ、非常に楽しい経験をしました。当時は、できればずっとこのような環境にいたいと思っていました。
しかし、自分の経営者としてのマインドが強くなり、MTVジャパンでの限界を感じ180度異なる企業文化を持つマイクロソフトに移ることにしたのです。マイクロソフトとMTVジャパンは共通点がほとんどない会社で、考え方も事業もまったく異なります。
端的に言えば、MTVジャパンは感性を重視する右脳的な会社であるのに対し、マイクロソフトは論理的思考を重視する左脳的な会社です。マイクロソフトに入社して、私は初日から大きなカルチャーショックを受け、逃げ出したくなる瞬間もありました。これは私にとって「イーロン・ショック」に匹敵するような、「マイクロソフト・ショック」とでも呼べる経験でした。
私は入社してすぐ、会社からサクセッションプラン(後継者計画)を作成するよう言われました。つまり、入社時に自分の役割であった執行役員 オンラインサービス事業部長を代替する人と、その方法を自ら考えなければならなかったのです。これはマイクロソフトの仕組みのひとつなのですが、「自分は必要とされていないのではないか」と思ってしまいました。
また、MTVジャパンでも経営者として数字を重視していましたが、マイクロソフトでの数字へのこだわりは桁違いで、正直驚くほどでした。学ぶことは非常に多かったのですが、これまでのキャリアと比較するとデスクワークの時間が長くなり、顧客や外部のステークホルダーと向き合う機会が減ってしまったと感じていました。
その後、コンシューマ&オンラインマーケティング事業で、東南アジア地域とアジア太平洋地域の統括を担当するなど業務領域は広がっていきましたが、再び右脳を使う仕事からの刺激を求めはじめたのです。
結果的に私はマイクロソフトを去ることを決断し、再び起業してクラウドファンディングの事業を始めました。