TOP PLAYER INTERVIEW #83
「異彩」のブランド・ヘラルボニー 躍進の秘訣と成長戦略、くまモンの先に目指すキティちゃん
驚くべき緻密さや斬新なデザインで見る者を惹きつけてやまないアートネクタイやスカーフ、アメニティ、ラベル、内装…。主に知的障害のある「異彩」を放つ作家たちのアート作品を活用した商品や企業とのコラボレーションを手がける新興ブランド「ヘラルボニー」の存在感が増している。
2018年に創業し、革新的なスタートアップとして国内外で著名な賞を受賞するなどスピーディーに躍進した秘訣は何なのか。単に「社会的に良いことをする企業」として終わらず、世界的なメゾンブランドのような高みを目指すと公言する意図と、思い描く戦略とは。障害福祉とビジネスの両立に向けた対策も含めて、ヘラルボニー 代表取締役/Co-CEO 松田崇弥氏に聞いた。
2018年に創業し、革新的なスタートアップとして国内外で著名な賞を受賞するなどスピーディーに躍進した秘訣は何なのか。単に「社会的に良いことをする企業」として終わらず、世界的なメゾンブランドのような高みを目指すと公言する意図と、思い描く戦略とは。障害福祉とビジネスの両立に向けた対策も含めて、ヘラルボニー 代表取締役/Co-CEO 松田崇弥氏に聞いた。
百貨店で「信用」と「勢い」を買った
―― ヘラルボニーのコンテンツは、最近ではJAL機のビジネスクラスアメニティやJR東京駅のアートラッピング、首都圏New Days店舗で期間限定販売された「トゥモロー・ウォーター」のラベルなど、目にする機会が増えました。2018年の創業から、ここまで躍進したのはなぜでしょうか。特に画期となった出来事を教えてください。
私たちは主に知的障害のある作家や福祉施設と契約し、アート作品のデジタルデータを知的財産(IP)として管理して、作品を使いたい企業からライセンス料をいただくビジネスを軸としたスタートアップです。お手本としているのは熊本県のキャラクター「くまモン」です。
前職のオレンジ・アンド・パートナーズは、「くまモン」を生み出した小山薫堂さんが代表を務めていました。そこでくまモンのIPがさまざまな商品やイベントで大活躍する様を見ていて、ライセンスビジネス、そしてB2Bビジネスの可能性を実感しました。
そんな中、2015年に母と一緒に訪れた岩手県花巻市の「るんびにい美術館」で障害のある作家が描くアートに衝撃を受けたことをきっかけに、知的障害のある作家の作品を使用したネクタイや傘などの商品をつくり、ヘラルボニーを立ち上げたわけですが…。
ヘラルボニー 代表取締役/Co-CEO
松田 崇弥 氏
小山薫堂が率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。双子の兄の松田文登氏と共にヘラルボニーを設立。ヘラルボニーのクリエイティブを統括。世界を変える30歳未満の30人「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」受賞。
松田 崇弥 氏
小山薫堂が率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。双子の兄の松田文登氏と共にヘラルボニーを設立。ヘラルボニーのクリエイティブを統括。世界を変える30歳未満の30人「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」受賞。
当初、販路はオンラインショップにほぼ限られていました。最初の1年ぐらいは経営的に厳しく、前の職場から仕事をもらったりして何とか食いつないでいたのですが、そこで気が付いたのは、会社にしても商品にしても、「どんなものかを世の中に見せきらないとイメージが湧いてもらえない」ということでした。
私たちがやりたかったのは、福祉や障害に対する世の中の認識を変えることです。障害のある作家を私たちは「異彩」を放つ作家と呼んでいますが、彼らの生み出す作品がメゾンブランドのように価値あるものとして広めたい。そのためには、「この作品でこんな世界観を表現できる」と伝えるための舞台が必要でした。
そこで転換点のひとつとなったのが、百貨店への出店です。なぜ無名のブランドが出店できたかというと2020年以降、コロナ禍で百貨店のテナントが次々に空いたからです。
コロナ禍では多くの企業と同様に、予定していたポップアップショップが延期になるなど、さまざまな調整が必要になりました。2020年8月には、コロナ禍の前から決まっていた地元・岩手県の百貨店「盛岡カワトク」に常設店舗をオープンできたのですが、当初は私も「コロナでお客さんが来ないのに、どうするの?」と途方に暮れていました。しかし意外なことに、岩手県中からマスコミが駆けつけてくれ、「地元発祥のブランドがコロナ禍にも関わらず出店をやめなかった」というポジティブなトーンで報道してくれたんです。
「盛岡カワトク」は地元で非常に信頼される老舗百貨店ですから、ここに出店しているということで信用してもらえたのだと思います。県内の企業から少しずつ、アートを使った内装などの仕事がいただけるようになりました。
さらにコロナ禍で店舗の空きが増え、テナントの賃料が下がっていたことも追い風となって、今までアプローチできなかったような有名百貨店にもポップアップストアを出すチャンスをいただけるようになりました。東京では常時3~4店舗のポップアップショップを出すという状態で、私自身もどこかの店舗で店番をしながら、関係先との打ち合わせも同時に行うという目まぐるしい日々を送りました。
―― 百貨店での売上はどうだったのでしょうか。
正直なところ、B2C商品の売上はほとんど上がりませんでした。コロナ禍でお客さまは少ないですし、我々もメゾンブランドのような高品質なプロダクトを開発・販売し、作家さんや施設に正当な対価を還元できるよう強気の価格設定をしていましたから、売上が上がらないのは想定内でした。
百貨店への出店はある意味で「広告」と捉え、信用と勢いというイメージが買えると思ったのです。実際、岩手でそうだったように、有名百貨店への出店によって大企業との協業のお話もいただけるようになり、IPビジネス加速の起爆剤になりました。