マーケティング・ビジネス課題を解決する学術研究 #05

長年愛されてきたブランドが急に価格訴求、その判断は戦略的に正しいのか?

前回の記事:
20年で激変した広告業界の情報革命、識者は「2024年 日本の広告費」をどう読み解いた?【早稲田大学ビジネススクール 及川直彦氏】
 マーケティングやビジネスの最新情報を得るには、実証された知見が多く詰まっている研究者の学術研究にも目を向けることが重要になる。早稲田大学ビジネススクールの客員教授である及川直彦氏による連載「マーケティング・ビジネス課題を解決する学術研究」では、マーケティングや営業、新規事業開発に携わるビジネスパーソンが直面する課題に対し、学術的な視点から解決策を提供していく。

 第4回は、ブランドの“らしさ”と価格戦略のバランスに悩むマーケターのために、「ブランド価値」と「価格訴求」をめぐる意思決定のメカニズムについて、消費者行動の研究から解説する。
 

価格訴求はブランドの正しい選択なのか?


 ビジネススクールの何人かの学生さんから、こんな質問をいただきました。
 
私が担当する長年お客さまから愛され、その価値観や世界観を大切につくり上げてきたブランドが、新たに就任したブランドマネージャーの方針で、突然「価格のお手頃さ」を訴求するようになりました。この判断は、正しいのでしょうか?

 このような問いに対して、多様なアプローチが考えられますが、消費者行動の観点からは購買の意思決定における態度の「認知的↔︎情緒的」という軸がヒントになるかもしれません。
Edwards (1990)は人間の意思決定には、次の2つのタイプがあるとしています。

 • 認知的態度に基づく意思決定:対象に関連する情報を集め、その情報に基づく判断が先行し、その後で感情、気持ち、欲求が働く
 • 情緒的態度に基づく意思決定:対象に対する感情、気持ち、欲求が先行し、その後で判断が働く

 von Hippel and Edwards (1995)は、この2つの態度を二分法的に捉えるのではなく、両極を軸とした相対的な概念であると補足しています。そして実際、私たちの意思決定がこれらの態度によって異なることは、彼らの研究をはじめ、その後の多くの研究でも実証されています。

 たとえば、Laran and Tsiros (2013)の「不確実性を伴う無料ギフト」に関する研究も、その一例です。

 この研究の中で、ヨーロッパと南米の飲食店のランチタイム対象に、「本日のスペシャルメニューを注文すると無料ギフトがもらえる」というプロモーションの実験が行われました。店舗内POPのキャッチコピーは、次の2つのパターンが設定されました。

 • THINK ABOUT IT!(考えてみよう)
 • FEEL THE LOVE!(愛を感じよう)

 どちらも対象メニューは同じですが、提供される無料ギフトには2種類のパターンが用意されました。ひとつは確実にもらえる「コーラ」、もうひとつはもらえるものがランダムとなる「コーラまたはポテトチップスのどちらか」という不確実なオファーです。

 キャッチコピーに「THINK ABOUT IT!(考えてみよう)」と「FEEL THE LOVE!(愛を感じよう)」の2つを用意したのは、実験の対象となる飲食店の来店者の意思決定の心理を「認知的(THINK ABOUT IT!)」か「情緒的(FEEL THE LOVE!)」か、どちらかに誘導するという意図があります。

「え、こんなキャッチコピーの違いだけで、人間の意思決定の仕方が変わってしまうの?」と疑問に思った読者の皆さんには、次の結果にぜひ注目してほしいです。

 • 「THINK ABOUT IT!(考えてみよう)」のPOPを展開した場合、来店客の64.0%が確実なオファーである「コーラ」を選び、不確実なオファーである「コーラまたはポテトチップス」を選んだのは30.8%となり、確実なオファーを選んだ来店客の方が多いという傾向が見られました。
 • 一方、「FEEL THE LOVE!(愛を感じよう)」のPOPでは結果が逆転。来店客の63.0%が不確実なオファーである「コーラまたはポテトチップス」を選び、確実なオファーである「コーラ」を選んだのは29.6%に留まり、不確実なオファーを選んだ来店客の方が多いという傾向が見られました。

 つまり、わずかな言葉のトーンの違いが、意思決定に大きな影響を与えたのです。
  
図1:認知的/情緒的態度と確実/不確実なオファー(Laran and Tsiros 2013)


 実験では、「THINK ABOUT IT!(考えてみよう)」と「FEEL THE LOVE!(愛を感じよう)」という店内POPの2種類のキャッチコピーを同一日のランチタイムの中で、時間帯ごとにランダムに切り替えて展開しました。このような設定から考えても、2つの結果の違いはキャッチコピーによって生じたものだと判断するのが妥当でしょう。

 つまり、私たちの購買意思決定は、目の前の情報によって「認知的」になったり、「情緒的」になったり、その場で簡単に変化するようです。

 ちなみに、このLaran and Tsiros (2013)の論文に注目した早稲田大学ビジネススクールの私のゼミ生だった佐藤貞行さんは、この実験を参考に、メタバース内のショッピング空間でも、誘導するコピーの違いが購買意思決定に与える影響を実証した研究をしています(佐藤 2022)。もしご興味があれば、ぜひご覧ください。

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