広報・PR #23

7月5日の“予言”に学ぶ ー 人を動かすのは“情報”ではなく"気配"。企業広報に求められる〈空気の設計〉

前回の記事:
大谷翔平選手はなぜ企業から選ばれるのか? 広告起用の成功要因を多角的に分析
  2025年7月5日、日本で大災害が起きるという"予言"がSNSや動画を通じて拡散され、その影響で複数の航空便が欠航となり、飲食・観光業にも影響が及んだ。この一件は、「誤情報が事実を凌駕した事件」として扱われがちだが、PRの視点から見ると、本質はそこにはないと私は考えている。

 重要なのは、「情報が届いていたのに、人々が動かなかった」という点である。気象庁や観光庁が繰り返し「デマである」と発信していた。それにもかかわらず、予約は減り、航空路線は減便・運休に追い込まれた。つまり、正しい情報は届いていた。しかし、動く空気をつくるには至らなかったのである。

 今求められているのは、ファクトの正確さではない。「空気を設計」する力なのである。
 

「なんとなく怖い」が、飛行機を止めた

参考記事:
「日本で7月に…」根拠なき“災害予言”が拡散 専門家の見解は(NHK)
“うわさ”の「7月5日」が過ぎて(NHK)

 今回の事例で特筆するべきは、人々が理性的に「災害リスクを判断した」わけではないという点だと私は思っている。SNSで話題になっていた、動画で見た、友人が旅行を取りやめた・・・そうした「気配」や「周囲の様子」こそが、行動判断の主な要因となっていた。

 このニュースを最初に見たとき、「いくらなんでも信じる人はいないだろう」と私は信じた。ところが実際には、空気の力が人の判断を大きくねじ曲げていたことに気づかされ、すぐに愕然とすることになった。

 PRの視点で見るならば、情報は確かに届いていたのに、空気を動かせなかった。これは構造的な失敗なのである。どれだけ事実を繰り返しても、「なんとなく不安」「もしもがあったら」といった空気が勝ってしまう。ここに、現代のPR戦略が抱えている大きな課題がある。

PRは「空気の技術」である

 PRとは、報道対応やSNS運用に決して留まらない。その本質は、目に見えない期待や、言語化されない不安に対し、言葉にならない「共感の回路」を設計する仕事なのだ。私はそれを「空気の設計(技術)」とよく呼んでいる。

 例えば、今回のように、「日本に行っても大丈夫です」とどんなに伝えても、「本当に?」「周囲はどうしているのか?」などの「情緒の確認」がなければ、人は動かない。意思決定は、天気予報を見るように理性的なものではなく、"天気っぽさ"を肌で感じ取るような感性で下されるものだ。私は日々の実務を通じて、このことを痛感している。行動を変えるのは、正しさではなく、空気である。
 

"気配"をつくるPRの実践手法

 では、企業や自治体のPR担当者は、空気をどのように設計することができるのか。実践的な視点から、三つの手法を考えていきたい。

1. SNS上に文脈をつくる
 事実を一方的に発信するだけでは不十分だ。すでに存在する空気とどう接続するかが重要となる。XやInstagramでは、単発投稿よりも、引用や再発信、共通タグなどを通じた文脈の形成が有効となる。

例えば、「◯◯社の社員も香港から来ている」「現地のインフルエンサーが訪れた」といった事例は、すでに誰かが行動しているという気配を言語化して伝えている。これは、合理性よりも他者の動向を重視する日本などの文化圏においては、特に強く作用する。


123RF

2. 現地の“動いている感”を可視化する
 ライブ配信や現地スタッフによる自然な発信による可視化が効果的だ。空港が通常通り稼働している様子、レストランが賑わっている雰囲気、現地スタッフが笑顔で対応している場面。こうした「普通に回っている」映像は、まさに、百聞は一見にしかず。百の説明よりも人々に安心感を与える。

 大切なのは、「説得する」ではない。ただ「映す」ことなのだ。映っている気配が空気をつくっていく。「静かな活気」のようなものをカメラ越しに可視化することが、現代のPRにおける新しい使命になりつつあるのだと私は感じている。これはメディア対応以上に、観光業や自治体のPR活動が日常的に取り組んでいく活動だと私自身は思っている。

3. 空気の翻訳を行う
 正確な情報を多言語に訳すだけではまだ不十分である。特に東南アジアや中華圏では、災害、運気、予言といった文化的要素が人々の行動に強く影響する。そのため、情報の翻訳だけでなく、意味や文脈の翻訳作業が求められる。

 経験上、「風水的に問題はない」と語る第三者の発信や、「現地の著名人が予定通り訪日している」といった事例紹介などが効果的だ。文化ごとに異なる感受性に応じた"気配の編集"を行う能力が求められている。

 私自身、かつて中華圏向けのプロモーションを担当した時には、「なぜそれを伝えるのか」ではなく「誰がそれを言ったか」がより重視される場面に多く直面した。最初はとても戸惑ったのだが、文化によって「信頼の成立条件」が大きく異なることに気づかされる良い経験となった。
 

空気に勝てなければ、情報は意味を持たない

 今回の騒動を、SNSや動画プラットフォームの仕組み(アルゴリズム等)の問題として片づける声もあることは十分承知している。しかし、PRの実務家にとって本質的な問いは、「正しい情報を発信したのに、なぜ届かなかったのか」に尽きる。

 空気は、確かにアルゴリズムによって増幅され、感情によって選別される。しかし、人の意思決定は、理屈ではなく気配によって大きく導かれている。この"気配"こそが、PR担当者が最も敏感であるべき対象なのである。


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