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『プラダを着た悪魔2』はなぜここまで話題化したのか? 続編マーケティングから「文化現象設計」へ

 

ヒットとは、単なる共感の獲得ではない


 なぜ20年前の映画の続編が、ここまで人々の「自分語り」を生んだのか。封切りから数日後、劇場に足を運んだ。GW中とはいえ、客席の熱量には少し驚いた。映画を観終えて近くのカフェに入り、私は何気なくSNSに短い感想を書いた。「20年前はアンドレアに感情移入していたのに、今日はミランダに持っていかれた」。反応は予想以上だった。
 
『プラダを着た悪魔』1作目の予告編
 
『プラダを着た悪魔2』予告編

 同世代の友人、後輩、クライアントなど、立場も職種も異なる人たちから「まったく同じだった」「自分もミランダ側になっていた」という反応が次々と届いた。感想としては特別にひねりがあるわけではない。にもかかわらず、なぜここまで共鳴が起きたのか。考えてみると、この作品には強い構造がある。人々が映画を語っているようでいて、実は「いまの自分」を語り始める設計になっているのだ。

 ヒットとは、単なる共感の獲得ではない。人々の自己語りを発生させることである。『プラダを着た悪魔2』は、その構造を極めて巧みに実装した作品だと感じた。
 

続編はなぜ難しいのか


 続編制作には独特の難しさがある。前作のファンは20年分年齢を重ねている。昔好きだった作品をもう一度見せるだけでは足りない。懐かしさだけでは、一時的な話題で終わる。重要なのは、「いまの自分」が参加できる理由を作品側が用意できるかどうかだ。

『プラダを着た悪魔2』はそこを外していない。20年前、多くの観客はアン・ハサウェイ演じるアンドレアに感情移入した。社会に出たばかりで、理不尽な上司に振り回されながら成長する若者の物語として見ていた。しかし20年後、多くの観客は立場が変わっている。部下を持ち、責任を負い、成果を求められる側になっている。すると今度はメリル・ストリープ演じるミランダに視点が移る。

「厳しさとは何か」「仕事の精度とは何か」「責任ある立場の孤独とは何か」。観ている作品は同じなのに、観客自身が変化したことで意味が変わる。ここに続編としての強さがある。懐かしさを売っているのではない。過去の作品を使って、「現在の自分」を見つめ直させているのである。

 私はこれを「再参加設計」と呼びたい。かつてのファンが、人生経験を持った現在の自分としてもう一度作品に参加できる構造だ。続編とは本来、前作の記憶を再生するものではなく、現在の自分との関係を再編集するものである。
 

「誰の物語として観るか」が変わる


 この映画の巧みさは、観客の年齢やキャリアによって入口が変わることにある。若い頃はアンドレアの物語だった。キャリアを積めばミランダの物語になる。さらに年齢を重ねれば、二人が選べなかった人生や、それぞれの孤独を眺めるようになるかもしれない。つまり一本の映画が、観客によって異なる作品として体験される。
    
出典:20th Century Studios 公式サイト

 これは極めて強い。感想が単色にならないからだ。SNSで感想が広がる作品には共通点がある。人によって見え方が違う。だから語りたくなる。しかも、『プラダを着た悪魔2』のテーマはファッション業界に閉じていない。仕事と自己実現、上司と部下の関係、女性のキャリア、責任と自由、恋愛と仕事の優先順位、「正しさ」と「成果」の矛盾。どれも映画の外側でも成立する問いである。

 人々は映画を語りながら、実際には自分の人生観や仕事観を語り始める。ここが重要だ。人はコンテンツそのものを語りたいのではない。コンテンツを入口にして、自分を語りたいのである。

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