ジム・ステンゲル塾 #02
【特別寄稿 音部大輔】稀代のマーケター ジム・ステンゲルの小さなコピーを脳内につくろう
P&Gで2008年までの7年間、グローバルマーケティングオフィサーとして、全世界のマーケティングを指揮し、同社の売上を2倍に成長させたジム・ステンゲル氏。5月27日、28日に東京都内で特別開催される「ジム・ステンゲル塾(詳細は、こちら)」に向けて、同塾のナビゲーターを務めるクー・マーケティング・カンパニー代表の音部大輔氏にジム・ステンゲル氏の功績、日本のマーケティング責任者が学ぶべきポイントについて寄稿してもらった。
私の活動の原点は、ジムであった
2008年頃、ジムがP&GのCMOを務めていたとき、私は米国本社のセントラルチームにいたことがあります。ブランドマネジメント能力を競争力ある資源として強化し続けるために、限定されたメンバーで構成されたCMO直轄のチームです。
新しいブランディングの方法やその実現のための仕組み、考え方のフレームワークなど、マーケティングに関する知識創造が、その組織の目的の中心だったと理解しています。私はR&D側のリーダーと一緒にマーケティング側から、プロジェクトのひとつである「破壊的イノベーションの能力構築」を主導していました。
帰国から数年後、私はP&Gを去り、外資のマーケティング組織を強化したり、日本の歴史ある企業にブランドマネジメント組織を初めて導入したり、いくつかのマーケティング組織を構築・指揮する機会に恵まれました。ひとつの製品カテゴリーで活動する企業も、P&Gのように複数の製品カテゴリーやブランドを擁する企業もありました。独立してからは、こうした組織構築を社外からクライアント企業に提供しています。
そして私にとって、これらの活動の原点は、ジムであるように思います。彼がP&Gのマーケティング組織を回復・強化した方法を多角的に経験したことは、とても大きな財産です。
私は、米国本社勤務の間に彼の慧眼を間近に見て、いわば「ジム・ステンゲルのちいさなコピー」を脳内につくることができました。
ブランドマネジメント企業のCMOは、マーケティング組織を強くするために組織や人々にどのように働きかけるのか。成長の源泉である知識は、どのように創造されて調整されるのか。あるいは、広範囲に展開する際は、どのように実行するのか。それぞれの段階を展開する側から経験できる稀有な体験でした。
個人的には、彼のコピーを核として10年の経験や知識が整理されていったように考えています。そして、現在でも活用し続けている資源となりました。私は直轄チームにいたとはいえ、毎週ミーティングするような距離ではなく、たまに話ができる程度のものです。それでも、彼からの薫陶は非常に大きなものでした。
ジムの功績は、イノベーションと呼べるものだった
ジムが為した多くの功績のうち、私がもっとも大きな影響をもたらしたと考えるのは、彼の著書『GROW』に示されていることにも通じるものですが、次の3点のように思います。
- 「パーパス(大義)」を中心にブランドを定義する方法を示したこと。
- 全世界のマーケティング部門にとっての共通言語を確立したこと。
- マーケターの育成を促進したこと。
共通言語は、社内のマーケティング組織に限ったものではありません。関連諸部門は、もちろん広告代理店など、社外のパートナー企業にも及びました。目的や戦略の共有と同様、言語を統一できていなければ、協働は困難を極めます。なかなか大きな事業が為せるものはありません。そして、共通言語の確立が個々のマーケターの育成も強化しました。共通言語を通して、経験値がうまく流通したからだと考えます。
共通言語の必要性は、きわめてシンプルな話ですが、まだ途上にある組織も珍しくありません。後世には「あって当然のもの」を、その存在以前に想像し、生み出し、確立することは、イノベーションと呼べるかもしれません。
そうであるなら、彼がP&Gのマーケティング組織に対して為したことは、ブランドマネジメント組織構築というイノベーションだったと考えます。
我々は、自分たちでも見たことのない組織を自らつくりましたが、その指揮をしたのがジム・ステンゲルでした。彼には、マーケティング組織やマーケティング機能がどのようにビジネスに貢献すべきであるか、という明確なビジョンが見えていたのでしょう。