ビジネスにイノベーションを起こす「思考法」 #01
リクルート、MTVを経て、Twitter日本法人代表へ。笹本裕氏のキャリア論【聞き手:ニトリ田岡敬氏】
ニトリホールディングス 上席執行役員 田岡敬氏がインタビュアーを務める連載がスタート。第一線で活躍するビジネスパーソンの話を聞きながら、その人がキャリアを切り開いてきた背景やイノベーションを生み出してきた思考法を探っていく。
第1回は、グローバルで毎月3億3600万人以上、日本では毎月4500万人が利用している Twitterの日本法人を率いる笹本裕氏。Twitterの日本での成長率は高く、売上は対前年比160%、全世界での売上の18%を占めるほどになっている。笹本氏が考えるキャリア論から成果に繋がった背景までを聞いた。
リクルートで紙媒体のデジタルシフトに挑戦
田岡:私は1992年から2000年までリクルートに在籍した後、ポケモン、マッキンゼー、ナチュラルローソン、アイ・エム・ジェイ、JIMOSを経験して、2年前からニトリホールディングスでデジタル系担当の執行役員を務めています。笹本さんもキャリアのスタートは、リクルートでしたね。
笹本:はい。リクルートには1988年に入社しました。特に記憶に残っているのは、90年代後半に担当した電子メディア事業の立ち上げです。インターネットが主業務なのにパソコン1台を6人で共有している時代。エイビーロードのインターネット版を担当したのですが、通信回線も細かったので、ホームページをFAXで呼び出せるというサービスをつくりました。周囲の人たちを説得するために、分かりやすい言葉を選びながら、押したり引いたり、時には強引に進めてみたり、理解を得るためにもずいぶん苦労しましたね。
笹本 裕氏
Twitter Inc. Client Solutions事業担当副社長 兼 Twitter Japan株式会社 代表取締役 2014年2月、日本法人代表取締役として就任。また、北東アジア地域マネージング・ディレクターとして日本ならびに韓国の広告事業を統括。2017年より、Twitter Inc. Client Solutions事業担当副社長を兼務し、事業成長を牽引。それ以前は 2007年よりマイクロソフトにて常務執行役員などを務めた。また、MTVジャパンで代表取締役社長兼CEO、クリエイティブ・リンクの設立者およびCOOなどの経歴を持つ。1988年、リクルート入社。@yusasamoto
田岡:リクルートや、その後に転職されたMTV(Music Television)、そして現在のTwitterもメディアです。メディアへの思い入れが、あるのでしょうか。
笹本:そうですね、もともと学生時代にNBCの報道部門で通訳のアルバイトをしていたことが大きいかもしれません。そこでニュースが社会に与える影響力の大きさを実感しました。しかしリクルートに入ったのは、実は私の就職活動が遅れてしまったことが原因だったのです。たまたま長く採用活動をしていた同社が拾ってくれました(笑)。リクルートではインターネット事業の立ち上げに加えて、米国留学や営業まで幅広く経験させてもらいました。ファーストキャリアとして、すごく良かったと思っています。
MTVを経て、マイクロソフトへ
田岡:MTVでは、どのようなお仕事をされたのですか。
笹本:当時(2000年)MTVが、ある会社を買収したばかりで、私はその会社も含めた戦略の再構築を求められ、取締役として着任しました(2002年に代表取締役社長兼CEO)。いま思うと、本国からはかなり高い成長率を求められていましたね。
田岡:どのような戦略を立てたのでしょうか。
笹本:当時、日本では「MTV=洋楽」というイメージが確立していました。一方で、日本の音楽市場は邦楽が7~8割を占めています。事業拡大には、邦楽へのシフトが必要なため、編成方針を大きく変えました。本国はビジネスの観点からすぐに理解してくれたのですが、逆に日本の社内からの抵抗が強かったですね。
田岡:どうやって納得させたのですか。
笹本:当時は、やや強引だったかもしれません。制作や編成を担当している社員が「笹本は音楽がわかっていない。邦楽への進出は、カッコ悪い」と感性で議論してくるので、「別にそれでもいいけれど、視聴者数か広告売上でも、何でもいいから数値で結果を出して」と強く主張しました。
田岡:邦楽を強化して、マーケットは広がったわけですね。
笹本:はい、4倍になりました。
田岡:すごいですね。しかし、なぜ順調だったMTVを退職して、マイクロソフト(2007年 執行役オンラインサービス事業部事業部長)に移られたのですか。
田岡 敬氏
ニトリホールディングス
上席執行役員 リクルート、Pokemon USA, Inc. SVP、マッキンゼー、ナチュラルローソン 執行役員、IMJ 常務執行役員、JIMOS(化粧品通販会社)代表取締役社長を経て、現職。ニトリのデジタル戦略を指揮している。
笹本:当時は、ちょうどブロードバンドが台頭し、メディア環境が大きく変わり始めていた時期です。言わずもがなマイクロソフトは最新のテクノロジーを駆使して、世界のオンライン事業を引っ張っていました。私にとってケーブル放送ではなく、ブロードバンドでコンテンツ配信しているマイクロソフトが魅力的に思えたのです。
また、リクルートでインターネットメディア事業をしていた経験から、マイクロソフトの検索事業にも興味がありました。
田岡:マイクロソフト時代の経験で、今に生きていることはありますか。
笹本:ロジカルな考え方、レポーティングの方法、そして組織に対する考え方は、今でも役立っています。
特に、マイクロソフトは定期的なレポートと、そのフォーマット化を重視しており、月次や四半期、半年、年次の資料作成に必死で取り組みました。年に一度、シアトルで全世界の事業責任者が集まる「ミッドイヤーレビュー」では、レポートのフォントやサイズまで指定されているほどです。
田岡:コンサルティング会社のようですね。
笹本:あとは、入社直後に本国の上司から、サクセッションプラン(後継者育成計画)の提出を求められたことにも驚きました。「私、もうクビになるんですか」と尋ねたら、「イヤイヤ、もし笹本さんが今、事故にあって働けなくなったときの対策だよ」と。人は立場が組織の上位になると自分の立場を守ることばかり考えがちですが、マイクロソフトは常に後継者の育成を考えさせる仕組みができていました。