ビジネスにイノベーションを起こす「思考法」 #08

2代目社長 新方針へ反発、出店取り止め。ドラッグストアチェーンのサツドラは、社内改革をどう進めたのか

出店を取り止めるという大決断の裏側

田岡 小売業にとって、出店を止めるというのは、かなり重要な意思決定ですよね。どういう理由からなのですか。

富山 それまでは一店一店、異なるお店にするという考えでレイアウトも一から考案していたのですが、赤字店も多く、その状態で出店し続けることの方に恐怖がありました。

 そのため、サツドラに最適な標準フォーマットをつくる仕組みを整えてから改めて出店を始めることにしたんです。結果的に、2年くらいは出店を抑えました。その後いくつかの店舗でトライし、現在は、ほぼ標準化されたフォーマットで出店していっています。

田岡 出店をやめることを発表したとき、社員はどういう反応をされていましたか。



富山 出店をしないということよりも、標準化やチェーンストア化ということに対するアレルギーの方がありました。そこで、まずは共通言語をつくろうと思い、営業やバイヤーなどの中から僕の味方になってくれそうな人に声をかけてペガサスクラブに一緒に行く人を増やすようにしていました。

田岡 現場の潮目が大きく変わったできごとはありましたか。やはり、売上ですか。

富山 そうですね。数字を上げるということに対しては、ほかの企業では当たり前のことをやるだけで、インパクトは大きかったですね。例えば、当初は年間の販促計画もなく、「来月のチラシの商談を今する」というような状況の積み重ねでしたし、チラシもほぼ毎週つくっていた。そこで、まずはチラシを減らし、マンスリー施策を立て、店舗への指示書をつくって、店舗がやるべきことをクリアにする仕組みをつくりました。

 個店からチェーンオペレーションになっていくことへの抵抗はありましたが、4~5年経ってようやく完全に浸透したかなと思います。受け入れがたい人は辞めてしまうので、現・会長に「お前のせいで、辞めるんだ」と叱責されたこともあります。

田岡 ストレスも大きかったのではと思いますが、それに耐えるタフさはどこで養われたのですか。

富山 ストレスによってナーバスになるというよりは、ストレスが“スタミナ”になっていました。その根本にあったのは、ここを変えなければ、うちは生き残れないという危機感です。

田岡 そして2015年に社長に就任されたわけですが、営業本部長としての実績も積まれたところで、そろそろという感じだったのでしょうか。

富山 いえ、自分から早く早くと当時の社長に言っていたんです。それは、社長をやりたかったからというよりも、理想の形に早く近づけたかったからですね。

 早くと言っていなければ、今も社長ではなかったかもしれません。やはり、主張し続けたことが良かったと思います。
 

第2創業期としての改革(2007年~2014年)
チェーンオペレーションの徹底

2008年 個店主義の蔓延→チェーンストア化へ
2011年 ハレーションを恐れずに、本丸(営業)改革を実行
組織を支える人材の流出防止
2012年 出店を取り止めて、仕組み化・標準化開始(2014年に出店再開)


参考
サツドラの変革の歴史は、以下論文を参考にさせていただきました。
日本マーケティング学会 「マーケティングケース ― シリーズ129 これからの小売業における企業営の進化とカスタマーエンゲージメントの重要性の考察 ― 株式会社サッポロドラッグストアー ―(5191KB)
奥谷 孝司(一橋大学大学院 商学研究科 博士後期課程)」
https://www.j-mac.or.jp/mj/

続きの記事:
人に会い、話を聞くことでこそ、ビジネスの構想は練られていく【サツドラ 富山浩樹、ニトリ 田岡敬】
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