変革のカギを握るCxOの挑戦 #02

技術者から経営者へ、新たなロールモデルの挑戦と何度も組織を立て直した福士博司氏のキャリアとは

 

国内でも海外でも、何度も組織の課題解決に尽力


石戸 これまでのご経験の中には、いろいろな成功体験や失敗体験があると思いますが、印象的なものを挙げるとしたら何でしょうか。

福士 結果的に、うまく乗り越えてきたのですが、技術者時代は常に問題のあるところに送り込まれてきました。最初は、入社5年目で米国のノースカロライナ州にあるアミノ酸の工場でした。稼働4~5年目でずっと操業が安定せずに赤字続きという状態を立て直すことになりました。

 出向当初はアドバイザーとして入って、最後は米国人を使ったラインマネジメントまで手掛け、最終的には増産、そして黒字への転換も達成できました。

石戸 社会人5年目でいきなり海外に行くことになり、文化や言語も含めて苦労されたのではないですか。

福士 そうですね。何よりもカルチャーショックを受けたのは、歓迎されるかと思いきや、私と同じような年齢のマネージャークラスの人たちにはライバル視されたことです。だから、そこでの葛藤が結構ありましたね。

 米国では5年間を過ごし、その経験からやればできるなという自信になったのですが、その一件を機に、ことごとく問題のあるところに送られるようになりました。次に、アミノ酸の原点でもある川崎工場へいき、そこもオペレーションがうまくいっていなかったので、4年をかけて改良しました。
   
対談中の福士博司氏(左)と石戸亮氏(右)

福士 その後、研究所と若手育成を経由してタイに出向したのですが、そこは高成長をしている一方で、工場の増設や新技術の導入などが次々に行われ、人も不足していて、全然手が回っていないという状態でした。そこでは技術的な問題解決に当たる傍らで、現地の人を採用して育成し、現場に投入するということにもどんどん取り組みました。結果として、タイにおけるビジネス成長を生産と技術の両側面から支えることができました。これも非常に大きな経験でした。

 タイでは、新事業もたくさん手掛けましたね。たとえば、でんぷんのもとであるキャッサバの栽培や、辛くない唐辛子の栽培も行いました。ときには2000人くらいの農家に栽培委託したこともありましたが、安全面や生活保障、逆に収穫できたものはすべて買い取らなければならない、計画した通りの需給バランスにならないなどの制約に悩まされましたね。でも、そこでの経験は、農作物に関係する事業にはリスクがたくさんあることを学ぶことができたので、私の大きな財産になりました。

 今はキャッサバとキャベツの栽培事業が続いていますが、当時に誰もやったことがないことをやるのは、スリリングで面白かったですよ。(笑)

石戸 最後にお聞きしたいのですが、福士さんの人生の目標は何でしょうか。

福士 一貫しているのは、日本企業をもっと活性化させたいということ。味の素という一つのステージは終わりましたが、今後も講演活動や特別顧問などを通じて、いろいろな企業のパーパス経営を推進していきたいと考えています。

 あとはフードテックですね。イスラエルなんかは特に先進的ですごいのですが、それも含めた海外のフードテックを紹介していきたいと個人的には思っていますね。
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