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マーケターズ・ロード 横山隆治 #01

アドマンは、広告主に鍛えられる【デジタルインテリジェンス 横山隆治】

横山隆治 Ryuji Yokoyama
デジタルインテリジェンス 代表取締役
1982年、青山学院大学文学部英米文学科卒。同年、旭通信社入社。1996年、インターネット広告のメディアレップ、デジタル・アドバタイジング・コンソーシアムを起案設立。同社代表取締役副社長に就任。2001年、同社を上場。インターネットの黎明期からネット広告の普及、理論化、体系化に取り組む。2008年、ADKインタラクティブを設立。同社代表取締役社長に就任。2010年9月、デジタルコンサルティングパートナーズを主宰。企業のマーケティングメディアをPOEに再整理するトリプルメディアの考え方を日本に紹介。2011年7月から現職。主な著書に『CMを科学する』(宣伝会議、2016年)、『新世代デジタルマーケティング』(インプレス、2015年)など。
 
 第一線で活躍するトップマーケターは、どのようにキャリアを歩み、その時々で何を考え、どう実行してきたのか。そして、その経験は次なるキャリアや現在の仕事にどのように生きているのか。

 DAC(デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム)を起案するなど、インターネット広告業界の黎明期から活躍する横山隆治氏。9月27日には同氏の還暦パーティーが開催され、広告業界で活躍するキーパーソンたちが集結した。そんな横山氏に、これまでのキャリアの中で得た学び、エージェンシーが生き残っていくために必要なことについて語ってもらった。
 

良い広告主との出会いが、アドマンとしての成長につながった

 パイオニアのコンポーネントカーステレオ「ロンサム・カーボーイ」のテレビCM——僕が広告会社に入りたいと思うきっかけとなった広告です。

 作家の片岡義男氏によるナレーションと、ギタリストのライ・クーダーによる楽曲が何とも格好良い。手がけたのが旭通信社(以下、旭通。現・アサツー ディ・ケイ)だと知り、同社のCMプランナーになりたいと思うようになったことが、アドマンとしての人生の原点となりました。

 とは言え、僕が広告業界や広告代理店の存在を知ったのは、大学3年生になってから。英米文学を専攻していた学生時代は、父の影響もあって比較言語学に関心を持っていました。青山学院大学での勉強では飽き足らず、上智大学の授業を聴講。研究活動にも参加し、言語と言語の距離と方向をマッピングする目的でフォートラン(編集部注:プログラミング言語)を使って、多変量解析も行いました。文系学生ながら、データ分析に触れる機会を得たことも、のちの人生に少なからず影響を与えたと言えるかもしれません。

 大学では、1996年のデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム(以下、DAC)立ち上げにも関わる、仲間との出会いもありました。僕は学生時代にバンドを組んでいて、そのベーシストは、デジタルガレージの前身・フロムガレージの創業メンバーの厚川欣也氏。また、クラスメイトには、DREAMS COME TRUEのベーシスト・中村正人氏と、『わたしをスキーに連れてって』の脚本家・一色伸幸氏らがいました。

 厚川氏と同じ会社の採用試験で知り合った林くん(編集部注:デジタルガレージ代表取 締役 兼 社長執行役員グループCEO 林郁氏)と南雲くん(編集部注:GT代表取締役 南雲洋二氏)がともに立ち上げたのがフロムガレージでした。僕は旭通に入ったのですが、一方でフロムガレージの最初期の事業である大学生向けのフリーペーパー「Student Press」に寄稿したりもしていました。

 僕が旭通に入社した1982年は、まだその50年前と同じ形式で素材づくりや送稿がされていて、テレビは16mmのフィルム、新聞は凸版、雑誌は版下と、誰かが物理的な素材を制作して何が何でも期日までに媒体社へと送り届けなければならなかったので、広告代理業にある意味、存在意義があった時代と言えます。

 CMプランナー志望でしたが、配属されたのは営業でした。最終面接で「横山さんは、絶対にクリエイティブ職でないとダメですか?」と尋ねられ、「絶対にということではありませんが、クリエイティブ志望です」と中途半端に答えたら、営業配属でした。しかし振り返ってみると、あのままクリエイターになっていたら、いまの僕はなかっただろうと思います。



 クリエイターは、次から次へと発想が湧いてくる若いうちはいいけれど、才能が枯渇すると辛い。培った人的ネットワークを活かしてプロデューサーとして活躍する方向に転換できる人はいいが、いつまでも職人のままでいると“使えない”クリエイターになりかねない。僕は、そうなっていたかもしれないなと思うのです。

 そうして入社から1995年までの十数年間は、マスマーケティングの企画・実行スキルを徹底的に鍛えられました。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ……扱ったことのない媒体はありませんでしたし、いわゆる「広告」の枠組みを超えたさまざまなトライアルを、広告主とともに次々とやり遂げていった時代でした。広告業界人として、本当に良い時代を過ごすことができたのだと、あらためて思います。

 僕にとって幸運だったのは、キリンビールや資生堂、日清食品といったナンバー1ブランドを担当させてもらえたこと。今よりは多少余裕があった時代だったのでしょう、縁あって自社の担当になったアドマンを、一緒に鍛えてやろうという風土もありました。特に、キリンビールの真野さん(編集部注:現 インタラクティブ・マーケティング代表取締役 真野英明氏)には、いろんなことを教えてもらいました。

 「アドマンは、広告主に鍛えられる」——これは僕が現在まで一貫して持ち続けている信念です。

 この信念は、1996年にDACを設立したのち、2008年にADKインタラクティブを設立する動機のひとつにもなりました。

 DACはメディアレップなので、基本的には広告主ではなく広告代理店を相手に仕事をします。そのため、構造的に、アドマンとしての成長を促しにくいと感じていました。デジタル広告に取り組むにも、やはり広告主と直接インターフェイスできる環境をつくりたい。専門性の高いデジタルだからこそ、より広告主との直接やりとりが必要、そう考えてADKインタラクティブをつくったのです。
 

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