マーケターズ・ロード 横山隆治 #03

ヤフーを取り扱いできないハンディが、逆にDACに力を与えてくれた【デジタルインテリジェンス 横山隆治】

圧倒的に不利な状況が、DAC成長のカギになった

 DACの成長の秘訣は、「圧倒的に不利な状況」を背景に、いかにその状況を打破するかという“反骨精神”のようなものだったと思います。

 というのも、DACはインフォシークの専売レップとして、対するcciはヤフーの専売レップとしてスタートしましたが、ヤフーの潤沢な人的リソースを前に、「ヤフー VSインフォシーク」の闘いの決着はあっさりとついてしまったのです。ヤフーはそのマンパワーでディレクトリだけでなく、様々な情報サービスをどんどん増やし、ヤフーとインフォシークのアクセス量は、あっという間に雲泥の差となりました。

 とは言え、それはDACを立ち上げる前から、ある程度わかっていたことでした。だからこそDACにとって重要だったのは、ヤフー以外のさまざまな媒体をいかに束ねるか。これが、アドネットワークの構想の原点です。

 アドネットワークを構築する計画は、DAC立ち上げ当時から進められていました。米ニューヨークに渡り、DoubleClickや24/7 MEDIAを訪ねたのは1997年のこと。DoubleClickのライセンシー第1号は、実はDACで、日本初のアドネットワーク「DACネットワーク」はDoubleClickのアドサーバーを使って構築したものでした。

 「ヤフーを取り扱うことができない」という大きなディスアドバンテージが、逆にDACに力を与えてくれたのです。

 とにかく、新しいことをどこよりも早くやる。その姿勢を象徴する取り組みは、他にもたくさんあります。例えば、世界で最初にモバイル(ガラケー)に広告を配信したのは、ほかならぬDACだと思います。1999年4月にiモードがスタートして、5月には配信実験を実施しましたから。



 また、インターネット広告のメディアプランニングシステムもいち早く構築しました。一つひとつの広告枠のインプレッション数やクリック数といった配信実績をすべてシステムに入力してデータを蓄積することで、メディアプランのシミュレーションモデルを確立したのです。

 DACは、営業担当者の勘ではなく、システムによって出力されたデータを基にプランニングを行う仕組みをいち早く整えました。「ネットユーザーの7割以上が使っていますから、ヤフーにさえ配信していれば大丈夫です」と言えないからこそ、身に付けた武器です。システムを活用したプランニングを強みとするために、社員がシステムをどの程度使いこなせているかは非常に重視していました。毎年末には、システムへのログイン回数で表彰を行ったりもしていましたね。

 DACの強みと言えば、先進テクノロジーへの“目利き力”に触れないわけにはいきません。2001年に上場してすぐ、米国のアドサーバーソースコードを2億円かけて丸ごと買い取り、すべて解読したのはエポックメイキングな出来事でした。当時は「手塚くん(編集部注:現DACプロダクト開発本部長 執行役員 手塚圭一氏)の頭の中には10万行のソースコードがすべて入っている」と言われるほど、システムを徹底的に知り尽くしました。DACは、徳久くん(編集部注:DAC 専務取締役CMO 兼 D.A.コンソーシアムホールディングス 専務取締役 徳久昭彦氏)をリーダーにしてアドテクに強い会社になっていきました。

 そうすることで、新しいテクノロジーを見極める目が養われたのです。有力なテクノロジーを見繕って販売することもできるし、必要に応じてつくることもできる。DSP、DMP、ワンタグ技術といったDACが扱うさまざまなアドテクノロジーのベースは、このアドサーバーの技術にあります。優れたエンジニアとともに、テクノロジーを基にどうサービスをつくっていくか構想し、判断するのが、僕や矢嶋くん(編集部注:現・博報堂DYメディアパートナーズ 代表取締役社長 兼 D.A.コンソーシアムホールディングス取締役 矢嶋弘毅)の仕事でした。
 

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