ヘッドマーケターに聞く 十人十色のキャリア論

「掛け算」でつくる唯一無二のキャリア ── SBCメディカルグループCMO・井上慎也氏が実践してきた、真の強みの育て方

 マーケターのキャリアに、唯一の正解はありません。事業会社、スタートアップ、支援会社、外資系企業。さらにはマーケターという立場に留まらず、事業や企業全体を統括する立場へ──。活躍するヘッドマーケターたちは、それぞれ異なる環境で経験を積み、自分なりのキャリアを切り拓いてきました。

 本連載「ヘッドマーケターに聞く 十人十色のキャリア論」では、エグゼクティブ層を中心としたハイクラスマーケターに特化した人材紹介・キャリア支援を行うウニクス・アンド・カンパニー COO の沼部亮平が、第一線で活躍するヘッドマーケターにインタビュー。これまでどのような意思決定を重ね、どんな経験を積み、現在のキャリアにたどり着いたのかを紐解きます。
※ヘッドマーケター:マーケティングのスキルや経験を活かして、マーケティングのみならず組織全体を牽引する役割を担うマーケター

 今回お話を伺ったのは、「SBC湘南美容クリニック」などの経営支援を行うSBCメディカルグループでCMOを務める井上慎也氏。P&G、イーライリリー、アドビ システムズ、KDDI、パイオニアを経て、現在は美容医療業界のマーケティングを牽引しています。

「転職は目的ではなく、あくまで手段」。そう語る井上氏は、一貫して「強みの掛け算」と「これから価値が高まる領域への挑戦」を軸にキャリアを築いてきました。本インタビューでは、その意思決定の背景や、未経験領域に挑戦する際の心構え、さらには若手マーケターへのメッセージまで、井上氏ならではのキャリア哲学を伺いました。
 

「マーケティング×デジタル」の掛け算に見出した活路


ー まずは、井上さんのこれまでのご経歴を教えてください。

新卒でP&Gに入社し、4年間、ITとマーケティングを融合したチームに所属しました。その後、P&Gと同じく神戸に本社を構える外資系製薬企業のイーライリリーへ転職し、eBusiness変革業務に約2年間従事しました。

その後はアドビ システムズ、KDDIでデジタルマーケティングを統括し、老舗メーカーのパイオニアでは約4年間、CMOとして新製品の立ち上げや全社のマーケティングプロセス・組織構築を担当しました。

現在は6社目となるSBCメディカルグループでCMOを務めています。日本では「SBC湘南美容クリニック」をご存じの方も多いと思いますが、その経営支援やマーケティング全般を担当しています。
 
SBCメディカルグループ CMO 
井上慎也氏

大阪大学大学院を卒業後、2004年にP&G Japanに入社し、ヘアケアカテゴリーを中心としたオンラインマーケティングを担当。2008年から外資製薬企業のイーライリリーにてeBusiness変革業務に従事。2010年からアドビ システムズにて、クリエイティブ・ソリューション事業のデジタルマーケティング全般の統括・促進と企業ブランディング活動を担当。その後、2018年よりKDDIでデジタルマーケティングと全社コミュニケーションの改革に従事。2021年よりパイオニアでCMOとして新製品の立ち上げ、全社のマーケティングプロセスと組織の構築に取り組む。2025年7月、SBC湘南美容クリニックなどの経営支援を行うSBCメディカルグループのCMOに就任。



ー 「マーケティングの雄」とも言われるP&Gに在籍したのは約4年と、比較的短いですよね。井上さんは、なぜ早い段階でP&Gを離れようと思われたのでしょうか。

振り返ると、P&Gは本当に素晴らしい会社でした。

私が所属していたのは、「インタラクティブ・マーケティング」という、マーケティングとITを横断する、当時としては非常に先進的な組織です。インターネットが普及し始めた時代に、それをどうP&Gのマーケティングへ取り入れるかを考え、実践する役割を担っていました。

担当したのはヘアケアカテゴリーです。「パンテーン」「ヴィダルサスーン」「ハーバルエッセンス」「h&s」、途中からは「ウエラ」も担当し、シャンプーやスタイリング剤、ヘアカラー剤まで幅広く経験しました。

そうした経験を積む中で、自然と向き合うようになったのが「自分ならではの強みとは何か」という問いでした。P&Gでマーケティングの面白さを学ぶ一方、その領域には第一線で活躍する先輩方が数多くいました。ブランドマーケティング、メディア、店頭施策など、それぞれに高い専門性を持つ方がいて、その世界で同じ土俵に立つだけでは、自分ならではの価値を発揮するのは難しいと感じたのです。

P&Gのマーケティングには、「POD(Point of Difference)」という考え方があります。顧客から選ばれる理由となる、独自の強みを持つという考え方です。自分のPODを考えたときにたどり着いたのが、「マーケティング×デジタル」という掛け合わせでした。

当時のデジタルマーケティングは、Yahoo!ブランドパネルといったようなバナー広告や製品やキャンペーンなどのWebサイト、メールマーケティングなどが中心でしたが、この領域は必ず大きく成長すると感じていました。

一方で、マーケティングとデジタルの両方を深く理解する人材は、まだほとんどいませんでした。Web担当者はマーケティングに詳しくない。逆にマーケターはITに詳しくない。だからこそ、この二つを掛け合わせることに大きな価値があると考えたのです。

さらに、まだ正解が確立されていない領域だからこそ、年齢や経験年数に関係なく先駆者として価値を発揮し、自分の強みを築ける可能性が高いとも感じていました。

もっと「マーケティング×デジタル」を深く追求したい。そう考えていたタイミングで、イーライリリーから、現在でいうDXに近い取り組みを推進したいというお話をいただきました。その出会いが、社外へ挑戦するきっかけになりました。
 

キャリア構築における3つの判断基準


ー 「POD」という言葉が出たように、井上さんはマーケティングの考え方に基づいてキャリアを構築されているように感じます。どのような考えでキャリアを選び、ご自身の強みを磨いてきたのでしょうか。
 
<インタビューアー>
ウニクス・アンド・カンパニー
COO 沼部亮平
新卒で三井住友銀行に入行し、遺言信託を中心とした相続対策や資産運用のコンサルティング業務に従事。その後株式会社アサインへ参画。同社ではマーケター支援事業部の立ち上げを責任者として主導し、組織を拡大。ジュニア層からエグゼクティブ層まで幅広いマーケターのキャリア支援を行い、その取り組みは Forbes JAPAN にも掲載。現在はウニクス・アンド・カンパニーのCOOとして、ハイクラスマーケターのキャリア支援を行う。

自分なりのキャリアの考え方が明確になったのは、アドビ システムズに在籍していた35歳前後だったと思います。振り返ると、現在まで一貫して大切にしてきた判断基準は3つあります。

一つ目は、「学びと成長」と「貢献」のバランスです。

転職では、同じ業界や競合企業へ移るほうが、給与やポジションは上がりやすい傾向があります。実際、P&G出身者なら消費財メーカー、アドビ出身者ならIT業界へ進むケースが一般的です。

一方、私はP&Gからイーライリリー、アドビ、KDDI、パイオニアへと、転職のたびに業界を変えてきました。業界が変われば、ビジネスモデルやマーケティング、デジタルの活用方法も大きく変わります。その違いを経験できたことが、自分の視野を大きく広げてくれました。

もちろん、まったく未知の領域では、成果を出せる保証はありません。だからこそ意識してきたのが、「これまでの経験を活かして価値を発揮できること」と、「新たな学びを得られること」のバランスです。短期的には自分の強みを発揮し成果を上げながら、新しい領域にも挑戦できる。そのバランスを常に意識してキャリアを選んできました。

二つ目は、自分の強みをさらに伸ばせるかどうかです。

先ほどもお伝えした通り、私の軸は一貫して「マーケティング×デジタル」です。ただ、デジタルにも、広告、分析、検索、動画などさまざまな領域があり、マーケティングもブランド、プロダクト、プロモーションと幅広い世界があります。転職では、自分がまだ経験していない領域を意識的に選び、少しずつ掛け算を増やしてきました。BtoCからBtoBへの挑戦も、そのひとつです。

専門性を広げることは、単に経験を増やすことではありません。異なる経験同士を組み合わせることで、自分だけの価値を高められると考えています。

三つ目は、今後必要とされる領域かどうかです。

市場が成熟しているかどうかではなく、「将来必ず重要になる」と思える分野には積極的に飛び込んできました。デジタルマーケティングもそのひとつですし、その中でも早い段階から注目していたのが、マーケティング全体を統合的に設計する「オーケストレーション」という考え方でした。

SEOやLINEなど、個別施策のスペシャリストは多くいます。しかし、それらを経営視点で組み合わせ、最適化できる人材は決して多くありません。SEOとSEM、ブランドと獲得、マス広告とデジタル広告。個々の施策ではなく、それらをどう組み合わせて成果に繋げるか。その設計力こそ、今後さらに価値が高まると考えていました。

また、新しい技術やトレンドが生まれた際には、できるだけ早く手を挙げて経験することも意識してきました。たとえば、現在では一般的になったMMM(マーケティング・ミックス・モデリング)やサブスクリプション、カスタマーサクセスなども、一般化する前から実践する機会を積極的につくってきました。

転職先を選ぶ際も、「その会社で新しい経験を積めるか」だけでなく、「これから価値が高まる領域を深められるか」という視点で判断してきました。

こうして振り返ると、私のキャリアは一貫しています。「学びと成長」と「貢献」のバランスを取りながら、自分の強みを掛け合わせ、将来価値が高まる領域へ挑戦し続ける。この3つが、今でも私のキャリアを支える判断基準になっています。

 

「強み」を広げ続けたキャリア──各社で得た経験


ー 転職にあたっては、その都度「何を身につけるか」を重視していらっしゃるのですね。実際、それぞれの会社ではどのような経験を得てきたのでしょうか。

P&Gからイーライリリーに転職したのは、「マーケティング×デジタル」という自分の強みをさらに磨くためです。当時は、現在でいうDXに近い取り組みに携わり、マーケティングとデジタルを事業変革につなげる視点を身につけました。

その後、アドビ システムズへ転職した理由は、「ソフトウェア」というビジネスモデルに強く惹かれたからです。モノとは製造コストや利益構造が大きく異なる世界を経験してみたいと考えました。

アドビでは、自社ECによるソフトウェア販売をはじめ、データ活用やカイゼン、組織づくりやコーポレートブランディング、BtoBマーケティングまで幅広く経験しました。さらに、サブスクリプションモデルへの転換という大きな変革期を最前線で経験できたことは、大きな財産になっています。社内で次々と新しい役割に挑戦できたため、転職する以上の経験を積むことができました。

40歳を迎える頃には子育てもひと段落し、「新しい挑戦をするなら今だ」と考えるようになりました。そこでご縁をいただいたのがKDDIです。それまで私は、外資系企業の日本法人で、グローバル戦略を日本市場に展開する役割を担ってきました。一方、KDDIでは本社の立場から、グループ全体の戦略や仕組みづくりに携わることができました。

コロナ禍ではDX推進や中期経営計画の策定にも関わり、経営陣と議論を重ねながら、マーケティングだけでなく経営視点を養うことができました。ここで得た経験は、自分のキャリアにおける大きな転機だったと思います。

KDDIでの契約は3年間の嘱託契約でした。そのため契約満了が近づいたタイミングで、次の挑戦を考え始めます。

そこで出会ったのが、パイオニアでした。パイオニアはファンドが入っての再建中という状況であり、CMOとして、それまで培ってきたマーケティングやデジタルの知見を活かしながら、新製品の立ち上げや全社のマーケティングプロセス・組織づくりを推進すると同時に、経営戦略として企業のブランディング/マーケティングにも携わってきました。

また、同時に始めた副業でスタートアップや中小企業など、これまでに経験のない領域のマーケティングや経営支援などの経験を持つことができました。

ただ、企業変革をより広い視点・領域でリードする経験ができた一方で、「これまでの経験を広げる」だけではなく、「まったく新しい世界に挑戦したい」という思いも強くなっていきました。

そんなタイミングで出会ったのが、SBCメディカルグループです。美容医療は、それまでまったく接点のない業界でした。しかし、市場の成長性や業界トップ企業という状況に加え、オーナー企業ならではの意思決定の速さや挑戦する文化に大きな魅力を感じました。これまで培ってきたマーケティングや経営の経験を活かしながら、未知の業界で新たな価値を生み出せる。そう確信し、入社を決めました。
 

ー パイオニアのCMOからSBCメディカルグループのCMOへ。同じCMOという立場とはいえ、業界も商材も大きく異なります。率直に言うと、意外なキャリアにも感じますが、決め手は何だったのですか。

美容医療は、それまでまったく接点のない業界でした。正直に言えば、年代的に最初は少し「怪しい」というイメージを持っていたのも事実です(笑)。

ところが、息子世代や若い人たちに話を聞くと、脱毛や美容医療はすでに非常に日常的な選択肢になっていました。自分が抱いていたイメージと、市場の実態との間には大きなギャップがあったんです。そのギャップこそ、この市場の可能性を感じた最初のきっかけでした。

さらに、美容医療は私にとって未知の市場でした。これまで経験してきた業界とは顧客も価値観も大きく異なり、「まだ知らない世界だからこそ挑戦する価値がある」と感じました。

加えて、オーナー企業ならではの意思決定の速さや、成長に向けた熱量にも強く惹かれました。多くの企業が「どう生き残るか」を模索する中で、SBCは「どう成長するか」を本気で考えている。その姿勢がとても印象的でした。

代表の相川佳之氏とも何度もお話しする機会がありました。対話を重ねる中で感じたのは、SBCが単に事業を拡大するだけではなく、美容医療業界そのものをより良くして行こうと言う強い意志を持った会社だということです。

美容医療業界は成長市場である一方、社会から誤解を受けることも少なくありません。だからこそ、「この会社なら応援したい」「自分もその挑戦に加わりたい」という気持ちが自然と芽生えました。

キャリアでは、もちろん論理的な判断も大切です。しかし最後は、「この会社の力になりたい」という感情が背中を押してくれました。その思いが、SBCメディカルグループへの入社を決めた最大の理由です。
 

ー 井上さんは、さまざまな業界でマーケティングを経験されてきました。マーケターとしてのキャリアを構築するにあたり、BtoCかBtoBかで悩む方もいらっしゃいますが、井上さんは両者の違いをどのように捉えていますか。

このテーマはよく議論になりますよね。「BtoBとBtoCはまったく違う」という人もいれば、「本質は同じだ」という人もいます。私自身は、違いよりも共通点のほうが大きいと考えています。

もちろん、お客さまが個人なのか、企業なのかという違いはあります。意思決定のプロセスも、購入に至るまでの流れも異なります。ただ、本質的に向き合うべきことは変わりません。

違いを挙げるとすれば、意思決定における「ロジック」と「エモーション」の比率です。BtoCでは、機能や価格だけでなく、ブランドへの共感や体験価値といった感情的な要素が大きく影響します。一方、BtoBでは、社内で稟議を通すために「なぜ導入するのか」を論理的に説明できなければなりません。BtoCの購買でも論理的な判断が行われることがありますが、全体としてはBtoBのほうが論理性が重視される傾向があります。

とはいえ、本質はやはり同じです。企業の中の担当者、利用者、部門責任者、経営層。それぞれの関係者が何を重視して意思決定するのかを理解し、それに合わせて提案やコミュニケーションを設計する。これは、マーケティングの基本である「Who・What・How」の考え方そのものです。だから私は、BtoBもBtoCも、本質的には同じマーケティングだと考えています。

B2Bマーケティングというと、リード獲得やマーケティングオートメーションといった話題に注目が集まりがちです。もちろん、それらは重要ですが、マーケティングの役割はそれだけではありません。サービスや企業のブランディングはもちろん、DXやAIのような新しい概念を社会に広め、市場そのものを育てていくこともマーケティングです。

既存市場でシェアを奪い合うだけでなく、新しい需要を生み出すこともマーケターの重要な役割だと考えています。

キャリアという視点でも、私はBtoBマーケティングには大きな可能性があると感じています。BtoBでは、BtoC以上に、お客さま一人ひとりを深く理解し、論理的に価値を伝える力が求められます。そのため、マーケティングとデジタルの両方を活かしやすい環境です。
 
一方で、その役割をになえる人材はまだ十分ではありません。需要が高まる一方で、供給が追いついていない今は、挑戦する人にとって大きなチャンスだと思います。

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