マーケティングアジェンダ2019 レポート #03

楽天 最年少常務はどう誕生したのか、自分をアップデートさせるための方法

前回の記事:
ジム・ステンゲル×音部大輔 最強マーケター対談 「優れたマーケターが持つ3つの要素」
 国内外のブランド企業からトップマーケターが参加する合宿形式のカンファレンス「マーケティングアジェンダ2019」が、去る5月にロイヤルホテル沖縄残波岬を舞台に3泊4日で開催された。

 2日目のキーノートセッションには、楽天市場のモバイルページを牽引し、ボードメンバーとして存在感を発揮するCMO(チーフマーケティングオフィサー)の河野奈保氏が登場。2013年に36歳の若さで楽天の執行役員に就き、2017年に当時・最年少で常務となった同氏。聞き手をパナソニック コネクティッドソリューションズ社 常務の山口有希子氏が務め、そのキャリアの軌跡に迫りながら、事業に貢献するマーケターになるためのヒントを探った。
 

インターネット事業のリーダーから、全社を統括するCMOへ


山口  3年前に開催された第1回の「マーケティングアジェンダ2017」では、女性スピーカーはたった一人しかいませんでした。その一人というのもパートナー側の方で、ブランド側はゼロ。世界を見れば、CMO(チーフマーケティングオフィサー)を務める女性も数多くいるのに、これは問題だなと思っていました。

マーケティング業界は、世の中にムーブメントを起こす人たちの集まりですから、「マーケティングアジェンダ」もダイバーシティ推進を応援するコミュニティのような場になればいいな、と。ですから、私は今日のこのセッションをとても楽しみにしてきたんです。

河野  私のキャリアがセッションのテーマになるなんて不思議な気分ですが、せっかくいただいた機会ですので、楽しみながらお話しできればと思います。

現在、楽天の会員数は、国内では1億人、グローバルでは13億人。楽天市場の出店店舗は、4万7000店舗を超えました。「楽天市場」「楽天トラベル」「楽天カード」など、複数のサービスを利用しているユーザーが全体の約7割にのぼります。

私のキャリアでは、主にインターネット事業を管轄してきました。サービスとしては「楽天市場」や「楽天トラベル」、フリマアプリの「ラクマ」などが挙げられます。現在は、CMOという立場で広く事業全体を見ています。
河野奈保
楽天 常務執行役員 チーフマーケティングオフィサー

SBI証券(旧イートレード証券)マーケティング部を経て、2003年に楽天株式会社へ入社。楽天市場事業部にて営業部、マーケティング部、編成部、開発部など幅広い領域で要職を歴任。その後、楽天市場、ラクマ、楽天ブックスをはじめ様々なEC関連事業を束ねるECカンパニーのプレジデントとしてECビジネスの事業推進に関わる。 2013年執行役員就任、上級執行役員を経て、2017年楽天史上最年少且つ初の女性常務執行役員に就任。 現在は、楽天グループのCMO(チーフマーケティングオフィサー)として、データを用いた楽天独自のマーケティング活動を推進。

山口  もともと楽天の主要ビジネスを管轄していたところから、楽天グループ全体のCMOになったのですね。

河野  はい、泥臭く、いろいろなことをやってきた延長線上に今があります。例えば「楽天市場」では、開発・編成・営業・事業戦略とほぼすべての業務を兼務して、自分ができることの幅を広げました。

その後、コマース関連の30事業を統括するカンパニープレジデントを数年経験。そこでフィンテックやデジタルコンテンツといった他カテゴリーとのやりとりが増えたことで、さらに可動域が広がり、グループ全体のマーケティングを見る立場になったという経緯です。

“マーケティング畑”で育ったのではなく、いわゆる“飛び込み営業”のようなことも含めて、いろいろな現場を経験しました。
 

上司から扱いづらい存在だった「20代」


山口  キーワードは「現場」ですね。さて、いよいよ河野さんご自身がどうやってキャリアを築いてきたかを伺いましょう。

キャリアのステージごとにチャレンジがあったと思いますので、ステージごとにお話を伺っていきます。まず、20代。“イケイケ”で、随分と尖がったビジネスパーソンだったとか…?(笑)
山口有希子
パナソニックコネクティッドソリューションズ社 常務
エンタープライズマーケティング本部長

1991年リクルートコスモスに入社。その後、シスコシステムズ、ヤフージャパンなどで企業のB2Bマーケティングコミュニケーション管理職に従事。また、商社にて各種海外プロジェクトや海外IT関連製品の輸入販売・マーケティングを推進した経験も持つ。日本IBMデジタルコンテンツマーケティング&サービス部長を経て2017年12月より現職。エンタープライズマーケティング本部長としてB2B向けマーケティングを統括する。 日本アドバタイザーズ協会(JAA) デジタルメディア委員会 委員長や、ACC TOKYO Creative Award マーケティングイフェスティブネス賞審査委員としてマーケティング業界の発展に従事する。

河野  いま振り返ると、上司にとっては扱いづらい存在だったろうと思います(笑)。

「上の人たちの仕事は、現場からはよく見えない。なんだかんだと言うけれど、モノをつくっているのは私だ!」という自負があって、前のめりにどんどん意見を言っていました。若いゆえの無邪気さが、周りからは尖がっているように見えたかもしれません。

山口  20代の頃に営業、マーケティング、クリエイティブ、開発、ストラテジーと、いろいろな職種を経験されたのですね。

河野  こんなにあちこち回ったのは私くらいだと思いますが、その経験がCMOとしての視点を持つために非常に重要だったと感じます。とにかく、いろいろなことに興味津々で。他の人がやっていることを見ると、「それもやってみたいな」と自分から手を挙げていろいろと経験させてもらいましたね。

職種にこだわりはありませんでしたが、モバイルを自分の軸にするということは決めていました。「これからはモバイルが来る」という確信があったんです。

それにPC領域では、先輩社員の知識に勝てず、存在感を示すのは難しい。ならば、まだ誰も目をつけていないモバイルページに徹底的に強くなろうと思ったんです。

山口  それは「自分自身のマーケティング」と言えそうですね。自分のどこに強みを持たせるかを意識しながら20代を過ごされたということだと思います。

河野  手を挙げれば、やらせてもらえるという環境は大きかったですね。一方で、自分に不足している部分があることを自覚した上で、自信があるフリをしていたというところも大いにありました。

山口  そういうとき、周囲から反発があったり、どこかやりにくさを感じたりしませんでしたか。

河野  結果は出すので、上司からの評価は高かったと思います。でも、仲間との関係性という意味では、大きな課題がありました。

「みんなを引っ張っていく」リーダーはできるけれど、「みんなと一緒に進めていく」チームをつくるのは苦手だったんです。当時の上司に、「あなたは20~30人の組織は持てても、数百人の組織は持てない。この意味わかる?」と言われたこともありました。

当時は意味がわからなかったのですが、自分に足りないのは「人に頼ること」だとだんだんわかるようになりました。

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