ウーマンズインサイトアジェンダ #03

自分と向き合うのはなく、自分を眺める。800年の名刹と180年老舗漬物店から学ぶ「伝統と革新」

前提を外し「眺める」が令和時代のキーワード




田中 東凌さんは美術や工芸など様々なアーティストと取り組みをされていますが、そのきっかけは何だったのでしょうか。

伊藤 
一番のきっかけは、お寺が求心力や発信力、創造力を急速に失っていると感じたことです。ここには複雑な事情もあるのですが、まずは従来の仕組みから脱却しなければならないという危機感がありました。

田中 
800年の歴史があるのに、危機感ですか。

伊藤 
そうです。その800年には戦や火災などの危機があり、過去を辿るほど、仕組みを変えながら乗り越えてきたことが分かります。現在の危機に対して、子どもの頃から自分に何ができるのかをずっと思案してきました。そうやって自分がうずうずと考えていたことを仏教や禅の言葉で伝えようとすると、抽象的・哲学的すぎて、伝わるまでにすごく時間がかかってしまうんです。

もちろん言葉で伝える努力は続けていく必要はありますが、その一方でアーティストと一緒に表現すると、もっと新しいスタイルで伝えることができるんです。



田中 
話の中に「美」というワードが出てきましたが、アーティストとの取り組みは、東凌さんの美と叡智のプラットフォームだと語られていましたよね。お寺は人が集まる場だから、そういった場をつくりたいと思われたのですか。

伊藤 
そうですね。その前に「仏教や禅とは、何ぞや」と考え続けているのですが、ひとつの答えとして、まずは「生きる態度だ」と思っています。なので、人の可能性を信じ抜くことは、禅のお寺に生まれ育った以上やろう、と。

人はやりたいことができるようになったり、地位やお金といった条件が揃ったりしてもどこか満たされず、どう生きるかに悩むものです。そこにつながるキーワードが美や叡智だと考えています。

そこから自分を常に問い正し、その問いに関心ある人が集まることでシナジーが生まれる場をつくっていきたいと考えています。

田中 
現代は、自分と向き合う場が注目されていると感じています。それで私は、自分に向き合い、自分が何者で、何を成し遂げたいのかを突き詰めて具現化するのがマーケターの仕事だと思っているのですが、その「向き合う」に対して、東凌さんのお考えをうかがえますか。

伊藤 
たしかに、平成は自分と向き合う重要性が語れてきましたが、この「向き合う」という言葉には、厳しいニュアンスが秘められています。自分と向き合い続けると、ひょっとしたら優秀な人ほど自分へダメ出しばかりしてしまい、自分の価値を落としてしまうことになりかねません。

なので、言葉を変えるとすれば、「自分を眺める」くらいのニュアンスがいいのではないでしょうか。お寺の活動の中心には坐禅があるのですが、皆さん何となくピシッと座って、頭の中を空っぽにすることをイメージされますよね。

でも、一番は「自分を眺める時間」として認識いただきたいと思っています。頭を空っぽにするというよりも「今日はこんなことが思い浮かぶんだな」と、少し距離を置いて眺める感覚です。

こんな機会は、なかなかないですよね。というのも現代人は、眺めることが苦手になっているんです。スマートフォンで時間を埋めてしまうのも原因のひとつで、15秒以上じっとしていられないんです。

でも、お寺の庭や海、山などの自然を眺めていると、その間に視点が変わったり、ひとつの景色の中に自分を重ね合わせたりできます。例えば、ある木にとって大事な枝が折れてしまい、いっときは致命傷だと思っても、1年後にはどこが折れたか分からないくらい見事にバランスが取れていたりします。ひとの生き方もそういうものだと思えたりするんです。

皆さんの身近にも眺められるものはあります。コーヒーを飲むときにも、マグカップの中の景色があります。スマートフォンを脇に置いてそういうもの眺める時間を取ってほしいんです。「眺める」は、令和のキーワードになると思っています。



田中 
建仁寺さんは京都で最も古い禅寺ですが、今のお考えは禅の中にある考え方なのでしょうか。

伊藤 
直接的な言葉では言われていませんが、自分の中では、それが禅の「コード」だと読み取っています。今の現代のモードとして必要な言葉や身体作法が「眺める」だと思っているんです。

田中 
マーケターの文脈で解釈すると、事象を論理的に抜き出して、それをどう表現するのかと理解できそうです。伝統をきちんと理解されて論理を分解して、未来のビジョンを描く。東凌さんの取り組みは、マーケターと一緒だなと思います。

東凌さんがFacebookから呼ばれて米国で講話されたことからも分かりますが、僕も最先端のことをするためには、歴史の中にそのコアを見つけて、時代に合わせて転換させることが必要だと思っています。

伊藤 
そうですね。本当は、こうあるべきという前提は、いろいろな場面であると思うのですが、それを取り払わなければ、本当の自分は絶対に見えてこないんです。現代には、例えば思考法やメディテーションなど、その前提を外すきっかけがたくさん身近になりましたよね。

それらをうまく活用して、マーケターとはこうあるべきだ、この会社はこうあるべきだ、創業者はこう言っていた、などの前提を外した自分を体験して眺めてみることが、すごく重要だと思います。

田中 
800年の枠を外すのには、勇気がいりませんか。

伊藤 
いえ、勇気はいらないと思います。外すのは歴史ではなく、自分の思い込みです。何が大切かと言うと、800年の中で決断されてきた、それぞれの「コード」とは何かを考えることなんです。モードは変わって当然です。

これは茶人さんともよく話すのですが、例えば、利休の時代と現代では、社会背景や茶に求めることは違っているので、利休のコードをまるまる当時のモードですることにこだわりすぎるとニーズは減っていきますよね。彼のコードを読み取り、今の時代の新しいモードを構築したり、社会の不足部分にそのコードを部分的に応用できると新しい需要になっていくでしょう。

実は、きっちりものを置くということ自体が茶道のひとつとして、例えば「コップをあるべきふさわしい場所にぴたっと置けたらお茶だ」という捉え方をしても良いと思います。

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