リテールアジェンダ2019 レポート #01

ユニクロ柳井正が惚れた逸材・澤田貴司が、ファミリーマートの社長になるまで

 国内外のリテールのマーケターとメーカーのマーケターをつなぎ、一気通貫のマーケティングを実現するための合宿型カンファレンス「リテールアジェンダ」が12月上旬に大磯プリンスホテルで開催。キーノートセッションに登壇したのは、ファミリーマート 代表取締役社長の澤田貴司氏。

 マーケティング領域でも改革を推し進める同氏のキャリアについて、日本マクドナルドのV字回復の立役者の一人として知られ、現在は「ポケモンGO」で知られるナイアンティックでシニアディレクターを務める足立光氏が迫ります。
 

伊藤忠で小売事業を立案、型破りな若手時代


足立 非常に強烈かつユニークな人生を歩まれてきた澤田さん。セッションの前半では、まず、そのご経歴についてお話しいただきましょう。なんでも入社当時は、“超バブリー”なサラリーマンだったそうですね。

澤田 
はい、1981年に伊藤忠商事に入社し、新入社員ながらオフィス近くのショールームで、いすゞ「ピアッツァ」を衝動買いしました(笑)。伊藤忠には16年間在籍しましたが、そのうち11年間は化学品原料のトレードを担当。原料をアメリカから輸入したり、ヨーロッパへ輸出したりと、国境を越えた取引に携わるのは、大変楽しかったですね。

そんな私が流通・小売業界に関わるきっかけは、入社12年目30代前半のとき。米国小売分野の企業買収に携わることになったのです。具体的には、セブン-イレブンのライセンサーで、経営難に陥った米サウスランド社をイトーヨーカ堂と伊藤忠で買収・再建するという一大プロジェクト。末席ではありましたが、大変勉強になる経験をさせていただきました。

そんな仕事を5年間ほど担当して流通業のパワーや可能性に触れるうち、「商社は流通業に本格的に参画すべき」という考えに至り、室伏稔社長(当時。在職期間:1990~1998年)にその旨を直訴する手紙を書きました。1995年の年末のことです。
澤田貴司 Takashi Sawada
ファミリーマート 代表取締役社長
1981年に伊藤忠商事へ入社、化学品原料のトレードや米国小売分野の企業買収等に携わる。1997年ファーストリテイリングに入社、翌年、取締役副社長就任。同社のフリースの爆発的なヒットにつながる事業戦略立案等に従事。2005年に企業支援会社であるリヴァンプを設立。2016年9月に現職に就任。

足立 社長に手紙……かなり積極的な社員だったんですね。

澤田 
無視されるかもと思いきや、年明けに室伏社長が全世界の社員に向けて発信したメッセージに、私の手紙の内容が引用されていたんですよ(笑)。

それを見て間髪を入れず、ぜひ私に担当させてほしいと直談判しました。それで「流通事業室」なる専門部署も設置させてもらい、2年間懸命に取り組みましたが、結局実を結ぶことはありませんでした。

そうして、1997年に伊藤忠を退職。次はどこへ行ったものかと考えあぐねて、リクルートに人材登録したところ、紹介されたのが柳井さん(ファーストリテイリング 代表取締役会長兼社長 柳井正氏)でした。

足立 
青山のオフィスから、家族揃って山口(当時のファーストリテイリング本社所在地)へ行かれるわけですね。

澤田 
はい。流通業のトップになるには、まずは店長にならなければ始まらないだろうと思い、店長候補として入社させてほしいと柳井さんにお願い。ちょっとセコいんですけど、1年間だけは伊藤忠時代の給与を保証してほしいともお願いしました(笑)。

ありがたいことに、いずれも承諾いただき、山口での2カ月間の研修を経て帰京。都内にマンションを買ったばかりだったので、そこから店舗に通う予定でした。しかし、柳井さんが私を気に入ってくださって、「店長ではなく経営企画室長に」というオファーをいただき、また、山口に戻ることになりました。

足立  
入社2カ月で、ファーストリテイリングの経営企画室長とは、すごいですね。
足立 光 Hikaru Adachi
ナイアンティック シニアディレクター
プロダクトマーケティング
P&Gジャパン、シュワルツコフ ヘンケル社長·会長、ワールド執行役員などを経て、2015年から日本マクドナルドにて上級執行役員マーケティング本部長としてV字回復をけん引。2018年9月より現職。I-neの社外取締役、ローランド·ベルガーやスマートニュースのアドバイザーも兼任。著書に「圧倒的な成果を生み出す『劇薬』の仕事術」、「世界的優良企業の実例に学ぶ『あなたの知らない』マーケティング大原則」。オンライサロン「無双塾」主催。

澤田 
というのも、店舗に立つと、柳井さんが面接のときに話していた理想と現場の状況があまりにもかけ離れていたので、週1回、柳井さんにその有り様を報告していたんです。当時はメールがなかったので、FAXで。

それを繰り返していたら、本社に呼び出されたんです。それで柳井さんに会うと、「君の言う通りだ」と。そして、その手にはあちこちに赤ペンが引かれたFAX用紙が握られていました。これが、経営企画室長として働くことになった経緯です。そして半年後には常務取締役、翌年1998年には取締役副社長に就任することになります。

マーケターに役立つ最新情報をお知らせ

メールメールマガジン登録