あなたのクリエイティブ・ジャンプは何ですか?~ネプラス・ユー京都2024 特別企画~ #10
八天堂のくりーむパンはなぜ駅ナカで人気なのか?森光孝雅代表が語る「一点突破・全面展開」のクリエイティブ・ジャンプ【ネプラス・ユー京都2024特別企画】
一品集中・東京進出
――卸売をやめて一品集中で東京に進出するという大きな方針転換には、反対があったのではないですか。
社員、取引先、卸先のスーパー、父親。社内外で大反対でしたよ。けれど、それまでの小売業と卸業の経験から、それぞれの業態での自分の限界というものが既に見えていました。小売業の「たかちゃんのぱん屋」が潰れそうになった時は、毎日を持ち堪えるのが精一杯で、新商品を開発したり、戦略を考えたりする時間も、心の余裕もありませんでした。よく「追い込まれたら行動する」などと言われますが、本当に追い込まれたら行動できないですよ。少しでも余裕があるうちに、切り替えていく必要性を痛感していました。
それに私はパン職人として現場に立っていた頃は、地元の食材を使った奇抜なパンを次々と作って、ローカルのテレビ局でしょっちゅう取り上げてもらっていたのです。だから商品開発で勝負したいという強い思いがありましたし、一品良いものさえできればなんとかなるという希望が、私を元気付けました。小売業から卸業に転換する時は先が見えず、「分からない」ということがとてもしんどかったですが、この時は「新しくヒット商品を作る」というすべきことがわかっていたので、前向きでした。卸業を続けながら新商品の戦略も同時に展開するのは無理だと判断し、卸業を徐々に縮小しながら、新しい「一品」を開発するために転換を図っていきました。
―― 「くりーむパン」のアイデアはどうして生まれたのですか。
経済学者のシュンペーターは「既にあるものだが、それまでに組み合わせたことがないものを結びつけること」をイノベーションと定義しています。先ほど申し上げたように、私自身、新商品開発は得意としていましたが、奇をてらった商品は長続きしないことも経験から実感していました。スタンダードとスタンダートの掛け合わせということで「あんぱん、クリームパン、メロンパン」から「クリームパン」、これに「くちどけ」を合わせようと考えつきました。原料の配合を工夫し、口の中でとろけるような新食感の「くりーむパン」を、1年6カ月かけて開発しました。
―― 東京進出は当初からうまくいったのですか。
実は「くりーむパン」の前に酒種あんぱんを開発し、テスト販売を行ったのです。広島では手応えがあったのですが、東京に乗り込んでいくと厳しかったですね。私も学生時代に東京にいたので多少は知っているつもりだったのですが、販売となると、やはり東京での販路開拓に専門性があるパートナーと組む必要があると痛感しました。
そこで「くりーむパン」では十数社と面談し、価値観が一致した「生産者直売のれん会」と組んで、2009年2月に東京都北区にある東十条商店街でテスト販売を始めたのです。10月には品川の駅ナカ一等地に出店しました。わずか8カ月で激戦区の品川駅に出店するというのは、かなりの快挙で驚かれました。
何か特別な戦略があったかというと、とにかくPRと「気合と根性」でしたね。「くりーむパン」は当時は毎日広島から空輸していたので「空飛ぶくりーむパン」と銘打ち、巨大なポップをつくって大声で呼び込みしたのです。空輸されていて、しかも冷やして食べるパンで、それまでにない食感となると、お客さまも付加価値を感じ取ってくれ、どんどん売れました。「うちでもやってくれ」と、すぐに各施設から問い合わせが来るようになったのです。
先ほどお話しした共楽堂さんの場合は、駅ナカと百貨店の両方に出店していました。そこで両方を見に行って観察してみると、百貨店は実は常連客と「目的買い」が多い。一方、駅ナカは行き交う人流の多さに加え、一見客が多く、私たちのPRによる販促効果が出やすいことが分かりました。そこで出店は基本的に駅ナカをターゲットにしたのです。