行動経済学で理解するマーケティング最新事情 #03
「人はなぜ、その商品を好きになるのか?」行動経済学でメカニズムを解き明かす
共感、投影から考えるマーケティング
共感(性)の学術的な研究は、認知面と感情面で発展してきました。中でも認知面におけるDymond(1948)の「他者の思考・感情・行為の中に自分自身を想像的に置き換えて、その人のあるがままの世界を構築すること」という共感の定義が、筆者はしっくり来ました。
なぜなら、メタ的に「他者のように振る舞い、(妄想とはいえ)他者が感じた世界を追体験すること」は、私自身も味わっているからです。嫁に「キューブあげます」と口にする瞬間、私はJ.Y.Parkとして世界が見えています。言い換えれば、相手の世界そのものに没入し感情移入してしまう感覚が「共感」とも言えるでしょう。
すなわち「自分がJ.Y.Parkだったら…」と置き換えたり、「好きなことを楽しむだけなのにヘルシーってどんな感じ?」と夢想したり、それぞれの世界に没入したからこそ、私は共感を抱いたのではないかと推察しました。
さて、ここで考えるべきは、共感がなぜ好意に変わるかではなく、なぜ私は「置き換え」や「夢想」をしたのかです。
お恥ずかしい話ですが、自分のマネジメントに対する拙さや仕事ができないことに対する苛立ちを抱えていたり、ストイックにしかヘルシーを実現しないと諦めていたりしたからです。開けっ広げにできない弱さを心に抱え込んでいたとも言えます。
そうした弱さから目を逸らすために、心理学的に言えば「J.Y.Park」「ゼスプリキウイ」に投影し、見事に解決に導いている姿を見て「自分もできるかもしれない」と安心を手に入れようとしたのだと自分なりに分析しました。
そもそも投影とは、自分の悪い面を認めたくないとき、他の何かにその悪い面を押し付けてしまう心の働きを指します。例えば、なんとなく嫌いだと思っていた人は、実際には自分が認めたくない面を体現していたから…という場合があります。自分で自分を嫌いにならないようにするための、一種の自己防衛みたいなものです。
つまり、本当に「その人のあるがままの世界を構築」できているかと言えば怪しく、実際には自分の抱えている弱さを相手に投影しているだけなのかもしれません。
共感と投影の境目は難しく、瞬間的な共感の大半は投影である、という指摘もあります。例えば「すごく可哀想!」「信じられない~!」は相手に感情移入して言った言葉ではなく、自分も少なからず似た境遇にいるからこそ「すごく可哀想!」「信じられない~!」と言えるのです。自分に向けて言った言葉なのです。