マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #05
マーケターは、人の根源的欲求を見落としていないか
究極要因と至近要因
要するに、人間の心理や行動には、あらかじめ遺伝的にプログラムされたある種の方向づけがなされていて、鋭敏に反応しやすい刺激や課題が存在するはず。だから、それは何なのかを各自で考えることが、「今できること」なのでしょう。
とはいえ、それは単なる方向づけであって、詳細な具体性はなさそうです。たとえば、スニーカーの愛好家がそれに魅せられるのは、スニーカーそれ自体を好むように進化してきたというわけではないでしょう。
むしろ、もっと根源的な欲望があって、それを掻き立てるようなものを、メーカーがスニーカーを通してうまくつくり上げたと考えます。同じような欲望は多かれ少なかれ誰しも持っているのだと思いますが、眠ったままだったり、あるいは別の方法で満たされていたり、表面に現れる過程には多様性があるのでしょう。
では、いったい自社の手持ちのカードでアプローチできる根源とは何なのか。これを検討するには、進化における「至近要因」と「究極要因」というコンセプトが役立つかもしれません。
たとえば、お酒を飲んだ後の「締めのラーメン」。いつも、もうやめておこうと思うのですが、結局ついつい食べてしまいます。すいません。
これについて、「おいしいから」「楽しいから」という単純な理由や、「最後に胃に何か入れたほうがよいと聞いたから・・・」という“無理やり感”がただよう理由は、どれもその一杯のラーメンに直接結びつく至近の要因と考えます。
一方、なぜラーメンはおいしいのか、あるいは、そもそもなぜ小腹がすくとラーメンを食べたくなるのかに焦点を当てて、進化上の役割を考慮して「究極要因」を考えることもできます。
長い進化の過程では、栄養豊富な食べ物がすぐに手に入るわけではなかったはずで、手軽に高カロリーの食べ物を摂取することは、それだけでも根源的な欲望を満たすのかもしれません。
繁盛しているラーメン屋さんを観察すると、この要因に真っ向から挑んでいると思われる例もありますし、もちろん、まったく違う要因から攻めているものもありそうです。いずれの場合でも、よくよく考えると、うまく何らかの進化的な究極要因に合致している可能性が高いのではないでしょうか。
進化の観点を取り入れている研究者の中には、行動経済学や従来の心理学は至近要因のほうに注目しすぎだと考える人もいます(脚注1・記事末参照)。
マーケターはどうでしょうか。至近要因に注目するあまり、その商品・サービスの何がどうよいのか(スペックやRTBなど)でアピールしようとしていませんか? そうではなくて、進化的な「究極要因」に目を向けることで、人間本来の根源的な部分に刺さるという状況に近づけるかもしれません。
まとめ
今回は、消費者・顧客を生物の一員としてとらえ、その進化の過程で適応的だったと思われる心理・行動という観点から、人間理解へのアプローチを試みました。
この話題には、漠然とし過ぎ、実感がわかないというご意見もあるかもしれません。しかし、進化上の究極要因に目を向け、根源的に刺さる施策を考えることは、消費者や顧客に長く愛される商品・サービス、ひいてはブランドへと通じる、大変重要なヒントを与えてくれるものと、私自身は信じています。
極言すれば消費者も一介の生物にすぎない。これを大前提として、これまで5回シリーズのコラムを執筆してきました。これによって、従来とは一味違った人間観・消費者観が少しでも提供できていれば幸いです。
このシリーズは今回で一区切りとなります。次回以降は、各回の個別のテーマに沿って、もう少し軽いタッチで、新たな連載を進めていきます。消費者(人間)行動の面白さ・興味をさらに喚起し、ひいては、マーケティングに活かせる究極要因の探求の一助になることを目指したいと思います。引き続き、よろしくお願い致します。
<参考>
1.ダグラス・T・ケンリック、ヴラダス・グリスケヴィシウス / 熊谷淳子(訳)(2015)『きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか―意思決定の進化論』 講談社
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