行動経済学で理解するマーケティング最新事情 #08
歪んだ信念に、どう向き合うか。米連邦議事堂襲撃を行動経済学の視点で考える
人は誰もが認知の「歪み」を持っている
人は誰もが認知の「歪み」を持っています。物事をありのまま見られないメガネを持っていると思ってください。偶然、そのメガネをかけてしまうと、結果的に物事に対する認知が歪んでしまうのです。私の尊敬するマーケターの方々は、そうした「歪み」を理解して、自分の認知を100%は信じず、顧客への解像度を高める努力をされているように見えます。
ところが、ある日、歪んだメガネをかけてしまいがちな人が、急にメガネをかける隙も無いままに、あるがままの物事を見せられると、今まで見てきた世界と違うため「認知的不協和」と呼ばれる状態が発生します。
例えば、「私はタバコを吸う」という行為と、「タバコを吸うと、肺がんになりやすい」という事実は、矛盾が生じます。これが「認知的不協和」です。そこで「私はタバコを吸う」を「私はタバコを止める」に変えて不協和を解消するか、「タバコを吸うと肺がんになりやすい」に「事故で死亡する確率のほうが高い」「電子タバコなら大丈夫」という認知を追加して、不協和を解消します。ともかく人間は、不協和を放置するのが難しい生き物なのです。
世の中には様々な意見があることを知ってもらうために対話を止めないのも、この「認知的不協和」を起こすためです。そのためには、絶対に隠し立てをせず、ありのままの真実を毅然と発表する必要があります。火の無いところに煙が立つのがSNSだと思われる方もおられるでしょうが、実はその火が認知的不協和を引き起こす可能性もあるのです。
つまり、自社がSNS上である日突然、強い信念を持った人たちに巻き込まれたら、そこですべきことは情報公開と対話、この2点に尽きます。隠し立てをすると、無用な憶測を呼び、対話がなされなければ、相手の信念は深まるばかりだからです。
信念バイアスに駆り立てられる人たちを、私たちは「哀れ」「かわいそう」に思うかもしれません。最近も、特定のオンラインサロンの出来事が槍玉に挙げられ、あるnoteが炎上し、「新興宗教のようだ」と話題になりました。
しかし、全く何も信じていない人なんて、この世にいるでしょうか? 占いの結果が悪ければ悲しみ、おみくじで大吉が出れば喜び、願掛けで同じパンツを履き続け、神や仏を信じて祈り、最終的には自分自身を信じるものです。筆者は、人は何かを信じて寄り掛からなければ生きていけないんだと考えています。信じること自体が「人」なのだと思います。
人と人とが支え合うのが社会であり、その社会によって存在を許されているのが企業です。したがって私たちマーケターは、日頃の活動を通じて、消費者とも一本の線で良いので、つながりをつくることが大事なのではないでしょうか。しいては、それが極端な信念バイアスへの傾倒を防ぐことにもなるでしょう。
<今回の参考文献>
「バカ」の研究
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