行動経済学で理解するマーケティング最新事情 #09
Clubhouseブームは本物か。その熱狂を心理学から読み解いてみた
Clubhouse推しに隠された「違和感」の正体
私は、私が誰よりも平凡なマーケターであると理解しています。したがって「Clubhouseが凄い」と強く推されても、良さが分からなくて「はぁ」と相手に合わせて相槌を打つばかりです。
一方で、猜疑心というか、警戒心は人一倍強いので、何かに取り憑かれたように「今後絶対に伸びる音声メディア」と喧騒されると「たった2週間で分かるのものか」と疑念を抱き、「中毒性が半端ない」と熱狂されると「具体的なベネフィットで語ってほしい」と興ざめします。
何より、新しいサービスがゆえに「隙間」だらけなのが気になります。例えば、Clubhouseには通常のSNSに実装されている退会機能がありません。アプリにメールアドレスを登録し、サポート宛にメールを送る手間が必要となります。他にも、酷い誹謗中傷に遭った場合に、本社が米国のためプロバイダ責任制限法に基づく発信者情報開示請求を行えない可能性が指摘されています。
ところが、こうしたネガティブな点を主張すると、「新しいサービスに完全を求めるのは間違っている」と指摘する人がいます。これは不思議な指摘で、物事は何でも陰陽があります。メリットがあればデメリットもあります。片方へ極端に比重を置くのは、バランス感覚に欠けます。
新しい技術や発明などのイノベーションを「絶対に社会に普及されるべき」と過大評価する心理を「イノベーション推進バイアス」と言います。
例えば、1950年代には将来の発電機はすべて原子力発電所になるという楽観論で占められ、その危険性は1979年のスリーマイル島事故と1986年のチェルノブイリ事故まであまり注目を集めませんでした。
もちろん、新しく登場したプラットフォームが「伸びる」とbetして、フォロワー数を増やして知名度を上げようとする手法自体は否定しません。しかし、そこに「消費者」「利用者」がいないことに私は強く違和感を抱くのです。
「人」不在でこのプラットフォームがすごいと言われても、それを使うのは誰なんだと思ってしまう。一方的に「これが良い」「素晴らしい」と押し売りの営業トークを聞いているような印象を抱くのです。