行動経済学で理解するマーケティング最新事情 #16

人生はスマホゲームと同じ?「親ガチャ」「子ガチャ」に注目が集まる背景

 

いつの時代も抱える鬱屈した感情


 自分の不運や、思い通りにうまくいかない環境を「ガチャ」に投影していると考えると、昨今の「親ガチャ」「子ガチャ」という言葉の理解が進みます。「投影」については「『人はなぜ、その商品を好きになるのか?』行動経済学でメカニズムを解き明かす」で詳細を説明しています。

 いつの時代も、そうしたモヤモヤした心境が商品やサービスに投影され、大ヒットを記録してきました。70年代は「およげ!たいやきくん」はサラリーマン哀歌と称され、90年代は矢沢永吉さんのBOSS CM「まいったなぁ」は社会の厳しさを表現したと称されました。

 いつの時代も同じなのです。「変わりたい」「抜け出したい」。そうした鬱屈を、90年代であれば、例えば新興宗教が、最近であれば例えば情報商材やサロンが満たしていると筆者は考えます。

 一方で、そうした変身願望や逃亡欲求を満たしてくれるサービスが、真に自分自身を変えるかと言えば、大半は違います。それが分かっているのに、手を伸ばしてしまうのは行動経済学で言う「双曲割引」に引きずられているからです。

 例えば、ローンを組んでマンションの購入を決めたとします。販売業者からは2つの支払い方法を提示されました。その時点での自身の月給は手取り35万円だとします。
 
支払い方法A:10年間は毎月6万円、11年目~30年目は毎月12万円を支払う。 

支払い方法B:最初から毎月10万円を30年間支払う。

 実際にはお金の価値は変動しますから、名目ではなく実質で考えると、10年後の方が…という考えも無くはないでしょう。また、支払額に応じて金利が違いますから、もちろん支払総額も変わります。そのあたりを差し引いても、Aを選択する人は多いでしょう。

 なぜなら人は目先を過大評価し、遠い将来は過小評価してしまうからです。明日支払う10万と11年後に支払う10万を比べて、主観的には目先の利益の方がより大きく感じてしまうのです。ちなみに、損失も同様です。同じ利益や損失であっても、時間的な近さと遠さによって、主観的な評価には違いが生じるのです。これが「双曲割引」です。



 生存者バイアスを持った年配の先駆者は「苦労をしろ」「経験が自分をつくる」と言います。それは正しいかも知れません。ただし、生き残った人の話だけでは真に参考にはなりません。だからと言って、目の前の苦労だけはとりあえず避け、明日やろう…と先延ばしにするほど、真に変われる機会は逃していくばかりです。

 ちなみに冒頭、筆者が10冊以上の書籍を出せたのは運と表現しましたが、依頼に応えて文章を書けたのは長年コツコツと積み重ねてきた能力です。能力を発揮して、あとは人事を尽くして天命を待つ。そういう境地にたどり着きたいものです。
 

「親ガチャ」「子ガチャ」の背景にあるもの


 「親ガチャ」「子ガチャ」は、最近になって急に生まれた概念ではありません。環境に対する不遇、能力に対する諦めや苛立ち、そうした少なからず怨嗟(えんさ)の声は長らくありました。言葉として面白いからかメディアで語られる機会も増えていますが、根元に迫れば、右往左往する必要もないでしょう。

 世の中を取り巻く現象に対しては、点ではなく線で見る、満たされない欲望や欲求はおよそ普遍的なものですから時間軸で考える、そうした訓練を積みたいものです。

 世の中、うまくいく機会もあれば、そうじゃない機会もあります。それらがトータルで±0になるのが人生だ…なんていうのも全くの嘘で、ボーナスステージのような人もいれば、そうじゃない人もいるでしょう。

 そんなもんだと割り切り、自分のいる場所で自分なりに楽しい人生を歩むしかないと筆者は考えるのですが、皆さんはどう思われますか?
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