行動経済学で理解するマーケティング最新事情 #17

ビジネスパーソンが「有名になる」ことに、どれだけの意味があるの?

前回の記事:
人生はスマホゲームと同じ?「親ガチャ」「子ガチャ」に注目が集まる背景
 

この釈然としない気持ちは何だろう


 先日、第5波が収束したので久しぶりに外食をしていると、いきなり「松本さんですよね…?」と声を掛けられました。以前にウェビナーを通じてお会いしたことがある方で、世間の狭さに驚きつつ「今日は会社や仕事の悪口言えないですね~」なんて軽口を叩きました。

 実名でSNSを運用し、素顔を公開しているフォロワー数万人のインフルエンサーいわく、顔をさされる経験は1度や2度ではないそうです。インフルエンサーって、大変だなと思います。

 一方で、そのインフルエンサーからは「松本健太郎というブランドを育くむためにSNS運用はちゃんとやったほうが良い」と何度も言われています。Aを持ち上げるとBの反発をくらう経験を何度もしている私からすると、名前が広く知られることのリスクのほうが大きいような気もします。おかげで、最近は飼っている犬の写真を投稿してばかりです。

 もちろん、SNSのすごさは理解しているつもりです。近著が無事に重版出来して四刷したのもSNSの威力が大きいです。ただし、個人のブランドを育んだ結果として「転職に有利」「オンラインサロンをやりやすい」というメリットを提示されても、私自身は全くときめかないのです。マーケティング領域で、あるいは特定の職業で「有名になる」ことに、どれだけの意味があるのでしょうか。

 先日、TBS系列のテレビ番組『林先生の初耳学』に刀の森岡毅さんが登場され「良いものがあっても消費者の頭の中に無いものは無い」と指摘されていました。どれだけ努力しようと、それが知られなければ無いも同然です。したがって有名になること自体は悪いことでは無いのですが、私のこの釈然としない気持ちは何なのでしょうか。


 

ハロー効果もいつかはバレる


 本連載だけでなく、マーケティングに関する書籍を刊行しているからなのか「松本さんは凄いマーケターだ」と仰っていただける機会が何度かあります。ですが、私が言うから間違いないのですが「文章を書く能力」と「業務遂行能力」は同じではありません。

 単に文章を書くのが普通より上手いだけで、マーケターとしての能力は「並」だという自覚があります。すごく見えるのは文章だけで、現職に就いてからまだ大きな実績を残せていない分、すごいすごいと持ち上げられると顔から火が出るような恥ずかしい思いをします。

 そのような錯覚が発生するのは、ハロー効果と呼ばれる認知の歪みが強く影響しています。ある対象を評価する際に、顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる現象をハロー効果と呼びます。

 ことわざで言うなら「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「あばたもえくぼ」がハロー効果そのもので、嫌いになったり好きになったりすると、外見や能力さえも公平に評価できなくなるのです。私の場合は、マーケティングに関する文章が上手いから、あたかもマーケティングの実務も上手いように感じていただけたのでしょう。

 私の知っている範囲でも、ハロー効果を逆手にとって「なんかすごそう」というイメージを相手に抱かせて、新たな会社に転職した人を何人か知っています。

 ただ、いつまでも認知の歪みが続くかと問われれば、そんなことは無いでしょう。「化けの皮」という言葉があるように、いつかはバレます。転職した人も、結局は苦労していると聞きます。コロナ前ですが、あるマーケティング系イベントの帰りに近くのファストフード店に寄り道したところ、店内で某広告代理店の人たちが登壇者の実務能力を査定する場面に遭遇したこともあります。滅多切りされていて、ハロー効果もいつかは失うのだなと痛感したものです。

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