マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #22

消費者起点というマーケティングの基本を見失わない「脳の動作原理」

 

感覚マーケティング


「感覚マーケティング」は、10年ほど前にミシガン大学のアラドナ・クリシュナらによって提唱された枠組みです(脚注5, 6)。クリシュナによる定義は、「消費者の感覚に訴えることによって、彼らの知覚、判断、そして行動に影響を与えるマーケティング」というものです。

 特定の行動や感情を自然に引き起こす直感的な(五感を使った)手がかりを活用しましょう、というのが主張の一端にありそうですね。それも踏まえて、下の写真をご覧ください。



 クリシュナらが、初期の頃の研究で使っていたものです(写真は2016年の論文より引用:脚注7)。ケーキの右側にフォークが置いてある写真と、左側に置いてある写真を使った「広告」ですが、右利きの消費者にとっては、右側の場合の方が購入意向が有意に高くなるという結果が観察され、「身体的メンタル・シミュレーション」という概念を使って考察されました。右側のバージョンの方が、消費者がその製品を使っている場面を想像しやすいこと(つまり、身体を使ったメンタル・シミュレーションを行いやすいこと)が結果に差が出た理由だろうというわけです(脚注8)。

 その後、この研究は再現性に疑問が出されたりしています(脚注9)が、最新のメタ分析によると、どうやら、実際に繰り返しシミュレーションするような課題を課されると、それなりに有意な恩恵があるようです(脚注10)。

 実験による実証のレベルでの議論は見守りつつ、ここでは、その概念について今回の文脈の中で考えてみましょう。

 するとこれ、アフォーダンスとシグニファイアという枠組みとも関係が深そうじゃないですか? 右利きの人にとっては、フォークが右側にあるほうが、ケーキをカットする動作のシグニファイアとして効果的でしょう。

 だから何だというのは後ほど考えるとして、その前にナッジについても概観しておきましょう。
 

ナッジ


 リチャード・セイラーがノーベル賞を受賞したのは2017年ですから、話題になった時期としては、先の2つの概念よりも、ナッジのほうが新しいと言えそうでしょうか。少なくとも、ご存知の方の割合は最も多そうな気がします。

 セイラーの定義ではナッジは「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャのあらゆる要素」として知られています。行動科学、行動経済学などで明らかにされた人間の意思決定のクセを活用して、選択の自由を保ちながら、よりよい方向に行動変容を促そうというわけですね。

 それで最もよく出てくる事例の一つに、例の「便器のハエ」がありますよね。オランダの空港で、男性用トイレの小便器にハエのシールを貼ったら、尿の飛び散りが減り、清掃員の人件費も削減できたという事例。的があれば狙いたくなるという人間のクセを使って、「トイレをきれいに使用する」という行動を誘導したというわけですね。

 その他、日本では、レジなどの列の間隔や並び方を誘導する足跡マークや、ゴミの分別を促すゴミ箱の投入口の形状なども、よく例に挙げられます。



 でも、これらのシールやマークも見方・言い方を変えると、的を射るや上に立つという行動をアフォードするシグニファイアとも言えますし、クリシュナなら感覚マーケティングだと言いそうな効果音を使った事例などもナッジの応用例として数多く見受けられます。実際、最近のある論文でも「センサリーナッジ」という用語を用いて、感覚マーケティングとナッジを融合したような観点から考察が試みられていました(脚注11)。

 一方で、もちろんナッジの応用例には、デフォルトやフレーミング、時間割引などに依拠した、いかにも行動経済学っぽいものが多く含まれるのも事実です。これまで見てきた概念が完全に同じものだと言いたいわけではありません。ですが、それらを応用する目的には共通の側面が多そうだし、実際の事例だとオーバーラップしている部分が多いと思います。

 読者の皆さんは、「共通していることがあるからと言って、だからなんなんだ」と思いますよね。そこで次に、マーケティング関係者にとっての意味を、検討してみましょう。

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