マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #22

消費者起点というマーケティングの基本を見失わない「脳の動作原理」

 

脳科学の枠組みで共通項を再検討してみる


 この連載の過去の記事(#17 - #21)から続けて読んでいただければ、お気づきと思いますが、今回ここまで異なる枠組みのもとに挙げてきた事例の多くは、脳の予測符号化、予測誤差の最小化という観点でも説明できそうですよね。

 人間の知覚、意思決定、行動は、入力されてくる感覚情報に受動的に対応することで生じるのではなく、脳内で構築された内部モデルによる外界の能動的な予測に頼っているのでしたよね。入力されてくる感覚信号と予測に誤差があると、それを全体として最小化するように脳が作動するというのが、仮説のザックリとした要約です(詳細は過去記事#17 - #21を参照ください)。

 観察された意思決定や行動のクセについて、それらに名前を付けたり、体系化・理論化するのではなく、その背後にある脳内プロセスに着目してみると、既存の枠組みにとらわれない根源的な消費者理解につながるかもしれません。

 少なくとも、どの枠組み・概念からアプローチするにせよ、この消費者の脳の動作原理(の仮説)を常に念頭に置いておくことで、消費者起点とか、消費者・ユーザー中心というマーケティングの基本を見失わないでいられるのではないでしょうか。

 なぜこんな事を言っているのかというと、理論的なことを真面目に考えすぎるあまり、理論に沿った”正しい”施策を行うことに注力して、本来のキャンペーンの目的からそれていってしまっている事例に出会うことがあるからです。

「このアイデアは行動経済学の何バイアス・何ヒューリスティクスを使っていますか?」や、「今回のキャンペーンは五感を活用することをテーマとしているから、どうにかして視覚以外の感覚も入れられないか」など。「ナッジを使っていることをロジカルに上司に説明できなければ、この案は進められない」という発言までありました。

 理論を使うことが目的になってしまっては、本末転倒です。
 
画像出典: Unsplash

 以前に東南アジアのあるマーケットで、脳波を指標にして飲料ボトルの使用体験を評価したことがあります。「ボトルのどこを握るべきか形状からぱっと見分かりづらい」や、「握る部分の上にプラスティックのラベルのフィルムが重なっている」などの場合、手に取ろうとする段階から評価が低く、最初からもう勝負が決まってしまうような感じでした。

 調査対象の試作ボトルには、非常に難しい技術的課題を克服した特殊な形状のボトルや、珍しいテクスチャのボトルなども含まれていたのですが、少なくともその調査で用いた評価基準では、高い評価は得られず、結局どこをどう握ってどう扱うか分かり易いように形状やラベルの位置などを配慮することのほうが、評価に与える影響が大きいという結果でした。

「特徴的な形状で注意を惹きたい」や「テクスチャで特定の感情を喚起したい」など、「感覚マーケティング」から影響を受けたアイデアだったようですが、消費者・ユーザー起点の開発というよりは、理論や技術が起点になってしまったというのが反省点でしょう。

 店頭や製品使用場面で、顧客の脳内にある内部モデルはどのようなものか。身体内外の感覚として、どのような信号が予測されているか。それに対して、何をどう呈示したら、顧客がうまく選択したり、知覚価値の高い経験ができるか。過去の記事も参考に、これらの視点を取り入れることが、本末転倒にならないための一助になるかもしれません。

 いずれにしても、製品や技術ではなく、理論や概念でもなく、消費者を起点とした考え方は忘れないようにしておきたいです。

<脚注>
 
  1. Gibson JJ (1979) The Ecological Approach to Visual Perception. Houghton Mifflin Harcourt (HMH), Boston.
  2. 佐々木正人 (2015) 『新版 アフォーダンス (岩波科学ライブラリー)』 岩波書店
  3. D.A. ノーマン (著)、岡本明、安村通晃、伊賀聡一郎、野島久雄(訳) (2015) 『誰のためのデザイン? ―認知科学者のデザイン原論 』 増補・改訂版. 新曜社
  4. https://newatlas.com/push-pull-door-concept/16721/
  5. Krishna A (2012) An Integrative Review of Sensory Marketing: Engaging the Senses to Affect Perception, Judgment and Behavior. Journal of Consumer Psychology, 22: 332 – 351.
  6. A. クリシュナ (著), 平木 いくみ (訳), 石井 裕明 (訳), 外川 拓 (訳) (2016) 『感覚マーケティング 顧客の五感が買い物にどのような影響を与えるのか』 有斐閣
  7. Krishna A, Cian L, Sokolova T (2016) The power of sensory marketing in advertising. Current Opinion in Psychology, 10: 142 – 147.
  8. Elder RS, Krishna A (2012) The “visual depiction effect” in advertising: facilitating embodied mental simulation through product orientation. Journal of Consumer Research, 38: 988 – 1003.
  9. Pecher D, van Dantzig S (2016) The role of action simulation on intentions to purchase products. International Journal of Research in Marketing, 33, 971 – 974.
  10. Ceylan G, Diehl K, Wood W (2023) EXPRESS: From Mentally Doing to Actually Doing: A Meta-Analysis of Induced Positive Consumption Simulations. Journal of Marketing. https://doi.org/10.1177/00222429231181071
  11. 朴 宰佑, 外川 拓, 元木 康介 (2023) センサリーナッジ― 感覚要因が健康的な食行動に及ぼす影響の文献レビュー ―. マーケティングジャーナル, 42: 6 – 16.
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