マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #26
ストレスは「有益だ」と思えば有益になるし、避けようとすると悪循環になる
2024/05/30
今回の着目点
みなさんは、日々ストレスを感じていますか? 厚生労働省による2022年の調査では、現在の仕事や職業生活に関することで「強い不安、悩み、ストレス」を感じる事柄がある労働者の割合は、82.2%にもなるそうです(脚注1)。仕事関係だけでこれですから、私生活まで含めると、世間のストレスへの関心も相当高いでしょう。
ためしにGoogleトレンドで「ストレス」という用語の検索数の推移をみてみると、上の図の水色の通り、過去20年間では2010年代の前半に伸びた後、そのまま高止まりしています。比較のために、同じ健康関連の「メタボ」(メタボリックを含む)をみると、2000年代後半に一時的にストレスを超えるほどの数字を付けた後、すっかり鎮静化しています。ストレスの検索数の推移は、グーグルの仕様や利用数などの要因よりも、関心の高止まりを反映しているのでしょう。
一方で、日々感じるストレスに対して、何かしらの対処をされているでしょうか。ありそうなのは、「パーっと発散して忘れようとする」、「休息をとって回復しようとする」、「そもそものストレス源をなるべく避けようとする」などでしょうか。そういった便益をうたう商品やサービス、広告などもしばしば見かけます。
ですが、実はこのような態度や行動は、逆に心身の健康や幸福な生活にネガティブな効果をもたらすかもしれません。というのも、近年のストレス研究のトレンドによると、健康で幸福な人生につながるのは、ストレスフリーな生活ではなく、ストレスはありつつも、それを認め、その有益な側面を信じて意味・意義を見出せるかということのようだからです(脚注2)。
この連載の前回の記事で解説したユーダイモニア的な発想に関連していそうですね。今回は、前回からの続きとして、マーケティングにも関連する「ストレスと幸福」について考察していきましょう。
「ストレス」とは?
ご存知の方が多いと思いますが、ストレスは、もともとは物理学や工学の分野で使われていた用語です。物体が外から刺激を受けたときに、物体の内部に発生する力で、漢字では「応力」ですね。モノを押したり引いたり、ねじったりすると、その内部でそれに応じる力が生じるのです。それが今のような使われ方になった端緒は、1936年に出版されたハンス・セリエ(Hans Selye)という生理学者の論文にあります(脚注3)。
当初の実験でセリエは、極端な温度変化、身体的な拘束や外傷、薬物の投与などさまざまな種類の刺激をラットに加えました。そして、刺激の種類にかかわらず、共通した変化がラットの生体にみられるということに気がつきました。リンパ組織の萎縮や胃腸の潰瘍などです。セリエはこの共通の反応を「汎適応症候群(General Adaptation Syndrome)」と呼び、それを後にストレスという用語で表現するようになったのです。
なので、もともとの物理学的な意味と同様、ストレスというのは刺激に応じて身体に生じる反応だったのですね。一方で、ストレスの原因となる刺激のことは、ストレッサーと呼ばれます。日常語としては、ストレスとストレッサーはあまり分けられていないか、むしろストレッサーのことをストレスと言っていることも多いように思います。もちろん普段の会話ではそれで問題ないのですが、ここではストレッサーとストレス反応を区別していきます。
話を戻すと、「適応」という用語が示すように、もともとストレスは環境変化や脅威から身を守るために進化の過程で動物が獲得してきたもの、生命維持にとって大切なもの、という位置づけだったのですね。それが悪の権化のように扱われるようになったのは、ストレス反応が長期化することによって、結果として病気の発症、さらには死亡リスクにつながることがあり、その末期的な段階がストレスの本質だと捉えられることが多いからだと考えられています。
ところが、最近の研究のトレンドは、一周まわって(?)ストレスのポジティブな側面に注目が集まっています。ただし、事実としての正負ではなく、どちらの側面を信じているかという「マインドセット」が重要だというのです。一体どういうことなのか、次のセクションで見ていきましょう。