マーケティングは、どこまで人間を理解できるのか #26

ストレスは「有益だ」と思えば有益になるし、避けようとすると悪循環になる

 

マインドセットが大事


 この文脈では、まずは、米国のウィスコンシン大学のグループによる疫学研究が有名です(脚注4)。3万人弱を対象に1998年に実施した2つの質問の回答と、そこから2006年までの8年間に、その対象者のうち誰が亡くなったかを紐づけたものです。質問は以下の2つです(脚注5)。

• 過去12カ月間にどれくらいのストレスを経験したか
• 過去12か月間にどれくらいストレスが健康に影響したと思うか

 その結果、早くに死亡してしまうリスクをクロス集計したのが以下の表になります。数字が大きいほど死亡リスクが高いことを示します。
  

 有意にリスクが高かったのは、ピンクの四角で囲ったところのみです。ストレスの多寡だけが影響するような単純なものではなく、ストレスを多く受けた人のなかでも「ストレスは健康に悪影響すると思っている」人のみが、他より早い死亡につながるようです。思い込みによって、実に43%ものリスク増加です。

 逆に健康に悪いと思っていない人にとっては、ストレスが多くかかっても、むしろ死亡リスクは少ない傾向となっています(青い四角)。これもまた非常に興味深いですね。

 その後2010年代に入ってからは、特に心理学的な研究でこれに関連した報告が相次いでいます。なかでも、現在はスタンフォードで教授をしているアリア・クラム(Alia Crum)が、異動前から続けているストレスマインドセットに関する研究が注目に値します。ストレスマインドセットとは、ストレス経験に関する信念のようなもので、つまり、ストレスを「有益な結果をもたらすもの」として信じるか、「有害な結果をもたらすもの」として信じるかという話です(脚注6)。

 具体的に、彼女らは一つ目の研究で、金融危機のなかでリストラの危機にさらされている銀行員を対象にストレスマインドセットを測定し、ストレスを有益なものと見なすほど、精神的健康が良好であることを示しました。もちろん、個人ごとのストレッサーの量やストレス対処行動などの個人差を考慮した解析での結果です。

 さらに次の研究では、実験参加者を2つのグループに分けて、それぞれに別のビデオを視聴させました。一方のグループは、「ストレスに有益な側面がある」というマインドセット、もう一方は「ストレスに有害な側面がある」というマインドセットを形成するビデオです。ずいぶんシンプルな介入に思えますが、前者のグループのほうが後者に比べて、実験 2 日から 3 日後の健康状態が良好で、仕事のパフォーマンスも向上していることが明らかになりました。

 ランダムに割り振ったグループで介入によって差が出るということは、マインドセットの影響は、個々人がもともと持っている性質やストレス経験とは独立の事象だということですよね。金融危機下で対象者には総じて強いストレスがあったことや、上記の疫学研究のデータなども合わせて考えると、むしろ、「役に立つ」というマインドセットによって、実際にストレスが良い方向に作用しているという可能性がありそうです。
 
 どうしてそんなことが起こるのでしょうか。彼女らは変化の背後にあるメカニズムを検討するために、ストレスホルモンなど生理学的反応も調べていますし、介入の場面や方法も工夫しながら研究を展開(脚注7)していますが、生理学的側面については、この連載では、次回以降に取り上げてみようと思います。今回は、態度や行動の側面を少しだけ考察してみましょう。
 

「役に立つ」と思うから役立てられる、避けようとすると悪循環に


「ストレスは有害である」と信じている人がストレッサーに遭遇すると、真っ先に何を考えるでしょうか。どうにかして軽減したほうがよい、できるなら避けたほうがよい、となるでしょう。

 一方で「ストレスは役に立つ」という信念があれば、同じ場面でも、態度や行動は異なるでしょう。ストレッサーへの対処を積極的に考えて、他者にサポートや助言を求めたり、自力で克服するなり変化させるなりの対策をしたり、さらには、避けるにしても単なる逃げではなく最善の検討の結果かもしれません。

 この違いが重要だと考えられる理由の一つは、前回の記事で考察したユーダイモニア的な幸福にはストレスも必然的について回るし、むしろ苦労や苦難を乗り越えた先にそれがあることも多いという点にあります(前回記事)。何に重きをおくかは個人ごとに違うでしょうが、一般に充実した人生に関連づけられがちな要因、たとえば、かけがえのない人間関係を築いていくこと、野心的な仕事をなしとげること、社会貢献、育児、健康維持・増進、どれをとってもストレッサーの塊のようにも受け取れます。

 マインドセットの違いによって、それらに対する態度や行動が大きく変わるなら、結果として、ストレスは有益だと考える人のほうが、健康で生きがいのある人生に近づけるということなのだろう、と先行研究では考察されています(脚注8)。

 この考察は、実はセリエが(少なくとも最後のほうに)考えていたこととも親和性が高いのではと、個人的には考えています。汎適応症候群の論文から30年後の1976年の文章では、人間生活では誰もが何度となくストレスを潜り抜けていくものであり、それなしでは、あらゆる障害に抵抗しながら人間の宿命である活動に適応していくということができない、という趣旨のことが述べられています(脚注9)。

 これがアジェンダノートにどう関連するのかについては、もう一度、前回の記事もご参照いただければと思います。世間一般には、まだまだストレスは悪いものという信念が根強いので、ストレッサーを思い出させておいてストレス解消という感じのヘドニア的なコンセプトは、疑問なく受け入れられそうに思えます。自社内で社員やチームメンバーの福利厚生の観点からも、日頃のストレスを解消しよう的なアイデアに至りがちです。そういったヘドニア的な考え自体は、それはそれで重要な一側面ですが、ストレスや長期的な幸福な人生の文脈ではネガティブな影響をもたらすかもしれません。ユーダイモニアとのバランスを、心の片隅に置いておいていただけると嬉しいです。

<脚注>

1. 厚生労働省(2023)令和4 年度「労働安全衛生調査(実態調査)」 厚生労働省

2. マクゴニガルK. (著) 神崎朗子 (訳) (2019) スタンフォードのストレスを力に変える教科書 大和書房.

3. Selye H (1936) A syndrome produced by diverse nocuous agents. Nature, 138: 32.

4. Keller A, et al. (2012) Does the perception that stress affects health matter? The association with health and mortality. Health Psychology, 31: 677–684.

5. この研究では、ストレッサーとストレス反応の区別はされておらず、どちらも含んだザックリとした使われ方になっています。

6. Crum AJ, Salovey P, Achor S (2013) Rethinking stress: the role of mindsets in determining the stress response. Journal of Personality and Social Psychology, 104: 716–733.

7. たとえば、Jamieson JP et al. (2018) Optimizing stress responses with reappraisal and mindset interventions: An integrated model. Anxiety, Stress and Coping, 31: 245–261.

8. Baumeister RF, Vohs KD, Aaker JL, Garbinsky EN (2013) Some key differences between a happy life and a meaningful life, The Journal of Positive Psychology, 8: 505–516.

9. ハンス・セリエ(著) 杉 靖三郎, 藤井 尚治, 田多井 吉之介, 竹宮 隆 (訳) (1988) 現代社会とストレス (Selye H (1976) The stress of life, revised edition McGrawHill, NY).
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