トップマーケターたちに聞く価値共創時代のマーケティング #23

新規顧客の獲得が難しすぎる時代の、確度高いアプローチ「ファンベース」【ファンベースカンパニー会長 佐藤尚之(さとなお)氏】

前回の記事:
「人間にしか表現できない“泥臭さ”がAIに勝つ」鹿毛康司氏が語る価値共創時代のマーケティング
 ソーシャルメディア活動の普及や発達により、企業からの情報発信だけでなく、顧客による情報発信や評判形成、企業と顧客の双方向的なコミュニケーションを踏まえたマーケティング活動が重要だと言われる時代。そんな「価値共創」の時代に、マーケターはどう価値を定義し、マーケティングの実務に落とし込んでいくのか。この連載では、Facebook Japan マーケティングサイエンス統括 執行役員の中村淳一氏がトップマーケターにインタビューし、そのヒントや考え方を解き明かしていく。

 第12回は、日本の広告業界に「コミュニケーションデザイン」という新たな領域をつくり、ファンを基軸としたコミュニケーションスタイルの第一人者であるファンベースカンパニー 会長の佐藤尚之氏が登場。同氏の幅広い経験・知見から導き出された「価値共創」の本質とは何か。ファンベースの基になっている体験や、現代のマーケティングに対する考え方などについて詳しく話を聞いた。
 

広告業界に一石を投じようと走り回る


中村 本日は佐藤さん(以下、さとなおさん)が提唱するファンベースの観点から「価値共創」について、いろいろお話をお聞きしていきたいと思います。まずは、さとなおさんのご経歴と現在のお仕事からお伺いできますか。

佐藤 1985年に新卒で電通に入社し、クリエイティブ局でコピーライターとCMプランナーを担当した後、インターネットやソーシャルメディアのプランニング、イベント運営やコミュニティなどさまざまなことに携わりました。電通は大きな総合広告会社ですが、これだけ幅広い分野を経験している人はあまりいません。これらの知見が後に「コミュニケーションデザイン」という新たな領域の開拓につながっていきました。
 
ファンベースカンパニー 取締役会長/CTO(Chief Training Officer)/ファンベースディレクター
佐藤 尚之 氏

 1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・ディレクターとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。JIAAグランプリなど受賞多数。2011年に独立し(株)ツナグ設立。2019年株式会社ファンベースカンパニーを設立。取締役会長。
本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)。「明日のプランニング」(講談社現代新書)。「ファンベース」(ちくま新書)。「ファンベースなひとたち」(日経BP社)
“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などがある。
一般社団法人助けあいジャパン代表。一般社団法人アニサキスアレルギー協会代表。一般社団法人リタイアメント・コーチング協会代表。大阪芸術大学客員教授。

中村 入社された当時はまだ「コミュニケーションデザイン」のような発想は、なかったんですね。

佐藤 はい、まだありませんでした。なにしろ私が新入社員のときは、まだフィルムでCMを作っていて、テレビCMよりも新聞などの平面媒体の方が強かった時代です。そこからテレビCMが興隆していき、私もCMプランナーをやっていくわけですが、1995年に急にインターネットが出てくるわけです。かなり衝撃を受けました。で、1995年に「さとなお.com」という個人サイトを作って毎日更新をし始めました。また日本に個人サイトが100くらいしかない初期の初期のことです。

ただ、日々ネットに個人で浸かってみると、近い将来必ずコミュニケーションが変わる、とわかるわけですね。なので役員に「WEB部門を作りましょう」と自主提案し、当時勤めていた関西支社にWeb部門をつくりました。これは、東京本社に先駆けたものでした。

中村 1995年ってWindows95が発売されようやくPCが一般人の手に入り始めたことですから、相当早いですね。さとなおさんが2008年に出した書籍『明日の広告』(アスキー)も、日本の広告のあり方に大きな影響を与えましたね。

佐藤 当時は「業界トップである電通が変われば、広告業界も変わる」と信じて、電通内を改革しようといろんな自主提案をしていました。その流れで「広告も変わらなきゃ」という想いも込めて『明日の広告』を出版するわけですが、これは当時の広告業界にとってはかなり衝撃的な内容だったようで、社内でも「広告ビジネスを壊す気か」とかなり怒られました。「テロリスト」というあだ名をつけられたくらいです。ただ、この本を読んでくれたクライアントの方々が私の考えに賛同してくれ、少しずつ風向きが変わっていき、結果的にベストセラーになったんですね。社内でも理解を得られるようになっていきました。いままでの古いアプローチから脱却するきっかけは作れたのかな、と思っています。

その後、2011年に電通を退社しました。退社した3月に東日本大震災が起こったので、2年間ほど震災支援を行う社会活動に力を注ぎながら、広告やコミュニケーションの基礎的な知見を共有する「さとなおオープンラボ」という私塾みたいなものを立ち上げました。ここに応募してくれたいろいろな業界の参加者たちとのディスカッションによって私自身の知見がアップデートされ、それが『明日のプランニング』(講談社)という書籍に発展しました。

「さとなおオープンラボ」では、私が持っていた知見や型はすべて伝えましたが、先生的に教えるのではなく、ボクの考えをぶつけてフィードバックをもらう部分を意識しました。そこからの刺激が自分をアップデートさせることにすごく役立ちましたね。全10回のラボでスライドは5200枚くらい。毎回5、6時間話すし、宿題も毎回すごく出す。そのうえ課題図書も6冊くらいあるという地獄みたいなラボです(笑)。

中村 ハードな環境ですが、楽しそうですね。
 
Facebook Japan マーケティングサイエンス統括 執行役員
中村 淳一 氏

  慶応義塾大学経済学部卒。現在京都芸術大学大学院芸術修士(MFA)在籍中。2002年に消費財メーカー、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)入社、消費者市場戦略本部に所属。柔軟剤ブランド「レノア」の日本立ち上げのコアメンバーや、かみそりブランド「ジレット」、店舗営業チャネルシニアマネージャーを経たのち、13年からシンガポールにてグローバルメディア、アジア地域ビッグデータ担当のアソシエイトディレクターに着任。17年6月にフェイスブック ジャパン(Meta)入社。マーケティングサイエンスノースイーストアジア統括。他JMAインサイトハブコアメンバー等。

佐藤 メンバーはみな戦友みたいになりますね。いま400人超の卒業生がいて、みんなすごく仲がいいです。そうした活動をする中で自分の考えがどんどんアップデートされて、「ファンベース」という考えに発展しました。私は「ファンベース」という言葉を、ファンを大切にし、ファンをベースにして中長期的に売上や価値を上げていく考え方だと定義しています。

現在は、コミュニケーションデザイナーとしてさまざまな活動をしつつ、延べ400人超のラボの卒業生が所属するコミュニティを運営しています。そのコミュニティは「4th(フォース)」と名付けました。ひとつ目のコミュニティは「ファミリー」、2つ目は「フレンズ」、3つ目は「ワークメイツ(同僚や仕事仲間)」。で、4つ目が我々だ、という意味ですね。

それに加えて、50代以上が400人くらい集まっている「Good Elders」というコミュニティも運営しています。多くの人が50代、60代になると会社員時代の友人関係が切れてしまい少しずつ孤立してしまうんですね。こういう孤立は社会的にも問題ですが、50代以上の人が孤独かつつまらなそうに生きていると若者も将来に希望がもてないんですね。自分たちの将来はああなっちゃうのかとやる気を失ってしまう。だから「50代以上が明るく元気に生きて行くことこそが若者貢献になる」という思いのもと、このコミュニティを運営しています。この400人を超える2つのコミュニティを、あえてワンオペで運営しています。

中村 それはすごいですね。

佐藤 ワンオペでやらないと、わからないことが本当にたくさんあるんです。最初から分担しちゃうといろいろなことが見えなくなる。だから初期はワンオペがいいですね。ちなみに、運営の基本姿勢は「盛り上げすぎない」こと。コミュニティっていうと活性化しないといけないと思われがちですが、キャンプファイアーのような盛り上がりをつくるとみんな疲れてしまって続かないんですよね。運営側も参加者側も疲れてそこで終わってしまう。キャンプファイアーより、人がのんびり集まる“焚き火”をじわじわ続けることが大切です。そのほうがずっと長持ちします。

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