鹿毛康司、モダンエルダーを目指す #11

偶然選ばれるのではなく必然で選ばせる アイドル活動の傍ら3事業を立ち上げた、ぴんぴんきらり 喜多尾衣利子氏のビジネス戦闘力

前回の記事:
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「モダンエルダー」という言葉を知っていますか? 若者に耳を傾けて新しいことを受け入れながら、エルダーとしての力も発揮する「職場の賢者」のことを指します。日本を代表するマーケターであり、クリエイティブディレクターでもある鹿毛康司氏がモダンエルダーを目指して、さまざまな若手にインタビューしていく企画です。

 鹿毛氏は「過去うまくいったことも、今ではうまくいかないことがあります。自分としては、思考能力はまだまだ大丈夫だと思っている一方で、時代との何らかのズレを修正し続けなければいけないと、恐怖を感じているんですよ」と語ります。本連載では「若者に教えてもらう」をテーマに、時代とビジネスの勘どころを探っていきます。

 第11回は、ぴんぴんきらり 代表取締役CEOの喜多尾衣利子氏が登場。喜多尾氏は祖母との関係をきっかけに、シニア向けの生きがい創出を目的としたサービス「きらりライフサポート」をスタート。単なる家事代行・ベビーシッターではなく、家事を幅広くサポートし、「第二の家族が増える」というユニークな価値を提供しています。創業8年にして、20人あまりのビジネス界の大物が「応援団」として名を連ねているのも注目に値します。

 前編では、喜多尾氏が10代の頃から17年にわたって経験した芸能活動や、その傍らで3つのビジネスを立ち上げた経験の中で培った、厳しい競争を勝ち抜いて自分らしい生き方に辿り着くための「ビジネス戦闘力」について聞きました。
 

「歴史アイドル」として活躍しながら、3つのビジネスを立ち上げ


鹿毛 今回のテーマは、「なぜ喜多尾さんは、大勢の大物を味方につけられるのか?」です。人によっては「いや、私なんか」とか「経験を積んでから」と言いがちですが、そういう人の多くは、大物に会えないし、味方にすることもできません。

でも喜多尾さんは、ご自身が代表を務める会社「ぴんぴんきらり」で、日本の成長企業に投資する「ひふみ投信」を立ち上げた藤野英人さんや、実業家の堀江貴文さんなど、誰もが知る数十人の大物から応援されていますね。このような「応援団」は、喜多尾さんが「社長だから」という理由で得られたものではないと思います。まずは、喜多尾さんのバックグラウンドを教えてください。

喜多尾 私は、父や叔父、従兄弟がビジネスをしている事業家の家系に生まれました。日常的にビジネスの話を聞くのが当たり前の環境だったので、私自身もビジネスがしたいとずっと思っていました。1社目を起業したのは2012年、軽い気持ちでカステイラをスタートしました。事業内容は、歴史グッズを販売する通販サイトの運営です。当時やっていた「歴史アイドル」としての活動を生かせるビジネスとして選びました。でもそのときはまだ、芸能の仕事のほうに力を入れていましたね。

歴史アイドル「小日向えり」として活動し、その傍らで、カステイラのほかに民泊の運営代行事業者や、現在のぴんぴんきらりも創業しました。アイドル活動は2020年に引退して、現在はシニアの就業支援を行うぴんぴんきらりの経営一本で活動しています。
   
株式会社ぴんぴんきらり 代表取締役CEO
喜多尾 衣利子氏

 事業家家系に生まれる。横浜国立大学卒業後、2012年株式会社カステイラを起業。幕末グッズのECや旅館業を運営。2014年スタートアップ創業メンバーとして執行役員を務める。2017年、祖母が仕事を辞めてから元気をなくした姿を見て株式会社ぴんぴんきらり(旧:ぴんぴんころり)を設立。「きらりライフサポート」(旧:東京かあさん)を主軸に、シニア世代の生きがい創出をミッションとしたサービス展開を行っている。

鹿毛 もともと、アイドルに憧れていたのでしょうか。

喜多尾 いえ、そうではないんです。写真が好きで、「被写体になりたい」と思っていました。モデルとしていろんな服を着て、ファッション雑誌などで作品の一部になることが夢でした。

鹿毛 芸能の仕事を始めたのは、何歳のときでしたか。

喜多尾 15歳です。

鹿毛 「作品の一部になりたい」という思いは、15歳のときの初心として、シンプルでいいですね。シンプルな動機は、すごく強いエネルギーにもなります。「世のため」なんて考えなくてもいい。芸能の仕事は、いつまで行っていたのですか。

喜多尾 32歳まで17年間、続けました。モデルからアイドルになった経緯もお伝えすると、私が15歳の頃のティーン向けファッション雑誌は、大人向けの雑誌と違って、ジュニアアイドルがモデルをしていたんです。だから、ジュニアアイドルの事務所に入れば、ティーンファッション雑誌に出られるのではないかと思いました。ジュニアアイドルになって、そこから歴史好きが高じて歴史アイドルに転身しました。
 

「選ばれる」ではなく「選ばせる」


鹿毛 アイドルだけで食べていけたんですか。

喜多尾 はい、おかげさまで。

鹿毛 すごいですね。アイドルとして17年間のキャリアを持っていること自体が珍しいのに、さらに実績も伴っていたと。17年間アイドルをやってみて、何か見えたことはありますか。

喜多尾 競争が激しい世界なので、「普通に頑張っているだけでは活躍できない」と感じました。そこで、自分を「選ばせる」というか、選ばれるように仕向けていくような感じで活動していましたね。歴史アイドルのときは、オーディションなどはあまり受けずに、自分から情報発信することで呼んでもらえるようにしていました。

鹿毛 偶然ではなく、必然として選ばれるということですね。会社員の中には「人事を待つだけで、次はどこに行くかわからない」という人がいますが、それはつまり、誰かに選ばれるのを受け身で待っている状態です。私はそういう人によく「必然的に選ばれるように、自ら動きなさい」と伝えています。喜多尾さんは、「小日向えり」として活動していた頃から、すでに人生における人事異動のようなものを感じ取りながら動いていたのですね。

喜多尾 容姿が際立っているわけではないし、トークも下手で……。「そのへんの高校生を連れてきて話させたほうが上手い」など、周囲からコテンパンに叱られていました。

歴史という分野で一番の有識者として招かれようとしたら、多くの歴史学者の中で1番にならなければいけません。アイドルの世界で頂点を目指すとなれば、それもまた並大抵のことではありません。

そこで当時の私は、「歴史」で100人に1人、「アイドル」で100人に1人という2つの希少性を掛け合わせて、1万人に1人の存在になることを目指しました。今振り返ると、だからこそ活躍の場を得ることができたのだと思います。
 

芸能活動を続けるために、1年猛勉強して国立大学に入学


鹿毛 芸能の世界でやっていくのが難しいから起業したわけではないんですよね。今もやろうと思えばやれるし、食べてもいける。でも、もう一人の自分である「喜多尾衣利子」のDNAが、起業家だったんだよね。

喜多尾 そうなんです。以前からあった「シニアの就業支援をしたい」という思いを抑えきれなくなりました。歴史アイドルのほうも必死に頑張ってきましたが、「オフィシャル応援勇士」を務めたNHK大河ドラマ『真田丸』が終わった時点で、「やり切った」という感覚がありました。

鹿毛 「小日向えり」ではない、もう一人の自分「喜多尾衣利子」がどんどん大きくなってきたのは、何歳くらいからでしたか。

喜多尾 大学を卒業して2年後、1社目のカステイラを起業したタイミングなので、25歳の頃ですね。

鹿毛 大学は、横浜国立大学に通っていたんですよね。純粋な思いを持って芸能活動をする一方で、しっかりと勉強して、大学受験をしたんですね。

喜多尾 もともと、大学に行くつもりは全然なくて。「私は芸能の世界に行くんだから、大学に行く意味はない」と思っていました。でも、当時の高校の担任の先生や母からの強い希望で、学業の成績が芳しくなかったにも関わらず、国立大学に行くことになったんです。

担任の先生と、関東の国立大学の中でどこにいけそうかを話し合い、1年かけて勉強して横浜国立大学に合格しました。関西では雑誌出版社が次々となくなっていたので、私としては、「モデルになるには関東に行く必要がある」と考えていたんですよね。

鹿毛 つまり横浜国立大学に入ったのは、「小日向えり」を続けるためだったんですね。

喜多尾 そうですね、あくまで芸能活動を続けるための手段としての進学でした。

鹿毛 きっかけが何であれ、とにかく自分の夢のためにやり抜く。それでいいし、それが美しいよね。

夢見て入った芸能の世界、当然嫌なこともあったと思いますが、32歳まで続けられたのはすごいことです。芸能界は1年契約どころか「1日契約」みたいなもので、今日何かあったら明日にはもう仕事はない。その恐ろしさがあるから、自分が必然的に選ばれるような状態をつくって、激しい競争に挑んだんですね。

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