海外ニュースから読み解くマーケティング・トレンド #06
人の力を引き出す「共感力(Empathy)」の大切さ【ニューバランス 鈴木健】
AIの研究者が主張する「AIには出来ないこと」
自らもAI研究者でもあり、Google Chinaのリーダーでもあった李開復氏は、著書『AI Superpowers』において、AIが「新しい電気」のようなインフラとして社会を変えていくというイノベーションを提示しながら、その変化がもたらす影響について悲観的な見通しを示している。
それは、蒸気機関のようなイノベーションと違って、ここ50年間のコンピュータを含むICT革新は生産性の向上、つまり労働者のスキルの標準化はもたらしたものの、富は全体に分配されておらず、実際貧富の格差が拡大したということだ。これと同じことがAIによって加速されるという。
つまりAIは仕事を奪うだけでなく、スキルが極端に高く要求される高給取りと、AIのおかげで非常に安価になる労働力に二分されていくというのだ。結果的に富全体の量は増えるが、労働者の平均賃金は減少していく。
このような事態は、資本主義的には避けられない構造かもしれない。だが李開復は、自らが癌を患ったことで経験した「死と人生の意味」についての自らの反省から、AIでは解決できない人間の持つ素晴らしい力について、改めて社会的に評価し直すべきであると主張する。
AI研究者であるからこそAIというイノベーションを推進してきた彼が、このような「人間の力」に注目することに非常に説得力がある。それは、思いやり(Compassion)であり、このような能力は、本来人間に自然に備わっているだけでなく、人間同士にしか意味がない。つまり、機械やAIに思いやりは必要ないだけだけでなく、人間が人間でいる限りはこの思いやりを自然に求めるのである。
アダム・スミスの経済の基礎には「道徳感情」があった
かつてアダム・スミスが『国富論』のなかで書いた「神の見えざる手」というのは、非人間的な市場の自動調整機能ではなく、彼は人間同士が自然にもつ共感(sympathy)から生まれていることを前提としていた。
スミスにとって経済学は、人間の感情を含む倫理学「道徳感情」と切り離せなかったのである。つまり、経済学者が前提とする「ホモ・エコノミクス(経済的合理性によって動く人間)」ではなく、感情をもち他の人間と交流する人間がその基礎にあった。倫理経済(ethical economics)のような言葉は現代的なもののように聞こえるが、もともと経済学の萌芽にはそのような倫理に対する洞察があったのだ。
クレイトン・クリステンセン教授の新しい著書『繁栄のパラドックス』において、貧しい国を救おうとNGOなどの組織が井戸を掘ったり、学校を建てたりするような「PUSH型」の援助は得てして成功せず、かえって営利的企業や組織がその国において新しい市場を創造することで、広範囲な経済活動を自発的に生み出す「PULL型」のほうが繁栄をもたらすというパラドキシカルな事実をさまざまな実例を挙げて説明している。
李開復がいうCompassionとは「同情」や「情け」ではない。ジム・ステンゲル氏自身も、ブランドパーパスが高次元の目的を示しているからと言って、慈善活動のことではない、と注意を促している。
一緒に働く人間の気持ちを汲むということは、一方的な押し付けではなく、彼らから気持ちを引き出すことなのである。このPUSHではなくPULLでなければならない、という意味合いは、クリステンセンの述べる貧しい国を豊かな国にするという社会的な変化起こす源泉となる力と同じである。そのこと自体が、人が人を動かす共感性なのである。