海外ニュースから読み解くマーケティング・トレンド #08
幸せをつかむための「戦略」とは何か
人間の特長は「他人の効用を自分の効用に組み込むこと」
その質問に対して、ダン・アリエリー氏は次のような言い方をしています。
「人間と他の動物との違いは本質的に社会的であること」であり、この特質は「他人の効用(満足感・欲望の充足)を良い意味で、自分の効用に組み込むこと」で現れると。
これは社会が目指す「幸福」の最も経済学的な説明だと言えます。「性善説」とは、相手の効用を自分の効用に受け入れるという考えなのです。したがって、性悪説に立てば、この本にあるように必ず「悪の均衡」にたどり着きます。
「悪いこと」というのは、実は安定しています。逆に言えば、何も変化がない。不平不満や悪評というのは、事態を何も変えないのです。だからこそ、「悪いこと」には常に何らかの繰り返しが必要です。これを非常にわかりやすく物語として示したのは、米作家のジョン・スタインベックの『エデンの東』です。もし興味があれば、ぜひ読んでみてください。
こうした性善説と性悪説によく似た議論があります。それは「人間の性格は変えられない」という考え方です。これについても『「幸せ」をつかむ戦略』のなかに、似たような議論を見つけることができます。
それは「パートナー」との関係をうまく維持するために、「区切りが必要」とアリエリー氏が指摘している箇所です。
アリエリー氏は、キリスト教のカルヴァン主義(プロテスタンティズム)とカトリックを対比して語ります。カルヴァン主義の「予定説」では、善人か悪人かは生まれつき決まっているにも関わらず、それを知ることができません。なので、なるべく善人として振舞おうと努力します。しかし、一度悪いことをしてしまうと、自分が悪人であることを証明してしまうので、どうせ地獄に落ちるのなら「どうにでもなれ効果」として好きに振舞ってしまう、という話です。
これはダイエットを始めた人が、一度甘いものの誘惑に負けてしまうと、楽しく食べたほうがいいと振舞うのと同じです。
一方のカトリックには、赦しを得る「告解」という制度があります。それは「生まれ変わる」「違う人間になる」という区切りを与える儀式です。こういう仕組みがあれば、何度でも再出発できます。
つまり善い行いをするという「変化」をもたらすためには、そのような「過去をチャラにする制度」が欠かせないということです。実際にはマックス・ヴェーバーが指摘している通り、歴史的にカルヴァン主義が資本主義労働を牽引しました。
それは簡単に言えば、「善行を積む=労働による努力が報われる」という仕組みと結びついたためかもしれません。このあたりは本書では語られていませんが、今後の社会の「幸福」を考えるために、いまテクノロジー社会で進んでいる資本主義的な「スコアリング」や「刑罰制度」が「他人の効用を自分の効用に取り入れる仕組み」に代わっていく必要があるでしょう。