2069年のクォンタムスピン #04

最終章「天空のウラヌス」SF小説で未来のマーケティングを描く④

ドクター・イドリュムとジオヴァーナの対話


 無重力空間、しかも衛星軌道上という地球の上で話すということ自体初めてで、さらに久しぶりにサブブレインのような助けなしにピッチに臨んだため、カズアキはうまく伝わったかどうかはよくわからなかった。ドクター・イドリュムはカズアキの「クォンタムスピン」の提案を静かに眠っているように聞いて長い沈黙があった後、ようやく話しだした。

 「知っての通りプロタゴラスは量子コンピュータだ。われわれでさえ知り得ない未来を予測できる能力もある。そしてその選択肢を常にシミュレーションしている。だが人工知能にはもちろん感情や思考はない。舞台の役者と同じだよ。役を演じるということは、その仕組みがわかって完璧に演じることが出来ても、役者は本人になることは出来ない」

 ドクター・イドリュムはそう言うと、ジオヴァーナとカズアキの方に顔を向けた。



 「ジオヴァーナ、それとカズアキと言ったな。きみがプロタゴラスのナッジに限界があると思っているのは知っている。それを今までと違うやり方を試したいのも。だが悪いがその考えは誤りだ。きみが考えるような選択肢はすべてやり尽くしているはずさ。当のプロタゴラス自身がね。

 そもそもきみが主張するクォンタムスピンは、量子コンピュータであるプロタゴラスの能力を前提にしているじゃないか。プロタゴラスじゃなければ、単にいまだに小競り合いをしているオーソリティーズたちに新しい争いの種を与えるだけだよ。

 クォンタムスピンは人工的なAIだけじゃ出来ない。『自然』である人間がつくり出す、再生可能エネルギーのように。自然というのはあの無力なレジデンツたちのことかい? それともきみのような無力な抵抗を試みるホッパーのことを言うのかい?」ドクター・イドリュムはせせら笑った。それに対して、ジオヴァーナは次のように語った。

 「自然とは人間であり、この世界全体よ。あなたは忘れたの?私たちの世界にはまだ秘密がある。まだ採掘されない資源がある。それはLUNAでもMARSでもなく、わたしたち人間なのよ」

 「私はきみと同じようなことを言う人間をこの17年間いやというほど見てきたが、本当に理想主義者というのは、潰しても何度も現れる虫のような存在だな。誰かが僅かに捨てるゴミみたいな理想を食って生き延びている。理想は実現しないが虫だけは生き残る。そしてあちこちに理想のカスを撒き散らすから新しい虫が生まれる」

 ドクター・イドリュムは地球を見下ろしながら、吐き捨てるように言った。

 ジオヴァーナは立ち向かうように声を荒げた。

 「理想というのは明確な未来の姿じゃない。それは現実の問題から生まれるものよ。それから目をそらしてゆっくりと衰退していくのが、今のあなたよ。時々何かを変えようと躍起になっているけど、それは単に可能性を捨てているだけ」

 「きみの言葉で言うなら、戦争や災害は人類には必要なスピンなんだよ。プロタゴラスが描く理想的なユートピアのためにはね。不幸があれば人類は団結する。60年も前に、きみたちの好きな社会活動家のレベッカ・ソルニットも言ってるじゃないか」

 「それは詭弁だわ。プロタゴラスお得意の。そうやってAIにとって都合のいい問題を適当に起こしている。温暖化も海洋汚染もいい例だわ。それによってAIの管理をもっと強化できるシナリオが描けるしね。スマートシティのカウンシルが作ったグローバルガバメントとオーソリティーズとは本質的なことは何も変わっていない。単に知力と暴力を独占しているだけ」

 「きみ自身もホッパーなら、そんな傲慢さだけでグローバルガバメントや委員会が成り立つわけではないのは知っているだろう?カウンシルたちはただ人間に進歩や発展をもたらすのは一部の資質ある人々だけだと思っているだけだ。そういう使命感はレジデンツには期待できない。そして我々の資源は限られている。AIはその資源を有効に活用するように作られたんだ。自然に育った人間に任せていては100年前のようにただ争って浪費して、必要な子孫を減らす世界ができるだけだと思わないか?」

 「クォンタムスピンを起こすプロトコルは人間がつくり出すのよ。さっきカズアキが提案した通り、それをわたしたちは『ネオ・スピーク(新語法)』と呼んでいる。意味をつくり出すのよ。新しい意味を。あなたが言うようにAIには意味を永遠に理解できない。意味は人間のためにある」

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