古川裕也が見たカンヌライオンズ

【特別寄稿:古川裕也】今年。カンヌライオンズは、何を捨てて何を取り戻そうとしたのか。

 

1年でできることは限られている問題とアイデアの成長について


「Eletromidia/Guarded Bus Stop」

 昨年、MediaのGoldを受賞。ブラジルでは夜、女性ひとりでいることがかなり危険で、彼女たちも恐怖感を持っている。けれど、ひとりの時、声を出し続けていれば、襲われることはないというのが着眼点。話し相手になってくれる人とバス停に設置されたデジタルサイネージを通して話ができるというアイデア。

 今年、その第2弾が出品されていた。アイデアは基本同じ。1年目がサンパウロだけだったのが2年目はブラジル全域で展開。1年目は夜ひとりの女性だけだったのが、2年目は孤独な老人、気分が悪くなった人やケガで困っている人、泊る所のない人など、夜ひとりで困っている人たちみんなに開放されていた。2年目としては、まあ順調にプロジェクトが成長していると言っていいだろう。

 もちろんカンヌに限らず僕たちの仕事にとって、freshness of ideaが決定的に重要なのだけれど、ほんとうに意味のある仕事の継続を評価するシステムはあったほうがいい。5年前くらいからずっと思っていることなのだけれど、重要なイッシューをほんとうに解決しようとするとき、1年というアワードのサイクルはそれほど適切ではない。1年でできることは、重要なイッシューの実効的なソリューションであればあるほど、限られている。アイデアのローンチも大切だけれど、かけるべき時間をかけてアイデアを成長させることも意義深いことだと思う。今年は、チタニウムのショートリストに残っていたが、no awardに終わった。
 

新しいクライテリアが必要


 今年カテゴリーが30に到達した。この無限に続く拡張は、とにかくごちゃついていて、あまり良い評判を聞かないけれど、必要なのは、クライテリアとカテゴリーの再構築ではないだろうか。クライテリアから言えば、大きく4つに分けられると思われる。
 
・大小様々な課題を解決するカテゴリー群
 これは、ビジネス・ゴールのものとソーシャル・ゴールのものとに分かれる。どちらにも到達したものが高い評価を得ることになる。今年だと、Renaultがこれにあたる。リザルトが主たる評価軸になる。

・クリエーティブ表現をリザルトから解放して、branded entertainmentとして評価するカテゴリー群
 表現のクオリテイだけが評価軸。「理屈抜きに持っていかれました。こんなの見たことありません」。その深さと高さを競い合う。Humourを13のサブカテゴリーに置いたのは、ここを取り戻したいという意図があったと思われる。

・10年前アルファ碁がグランプリを獲得したような意味でのinnovation。あるいは、新たなルールやシステムを提示したものを評価するカテゴリー群
 新たなスタンダードの提示。ゲーム・チェンジング力が評価軸になる。

・本当に意味のある仕事の継続と成長を促すカテゴリー群
 5年10年のタームを見据えた、ほんとに役に立ち、意義があり、世界中に横展開可能な仕事を継続的にウォッチしていくことがいかに重要か。それは、カンヌのアワードとしての価値を拡張することになる。

 とはいえ、カンヌ全体の唯一のクライテリアは、誰も遭遇したことのないアイデアかどうかということだ。そこだけは、たぶん永久に変わらない。人間のチカラで「はじめて」を創るのが、僕たちの仕事だ。

 そのためには、ヤバさとか、色気とか、へんてことか、要はある種のcrazinessが必要で、それをクリエーティブ・インダストリーに取り戻そうとしたことが2024の方向性だったと思われる。それを含みこんでこそ、Humanityなるものは知的でリッチになるはずである。
 

カンヌは使うものである


 今までカンヌをいちばん効果的に使ったのは、2000年代後半のP&Gのチームだろう。おおよそ以下のように伝説が伝えられている。確か2007年ごろ、世界中のブランチからマーケティング、クリエーティブ・パーソンが100人以上の規模で初めてカンヌに、純粋に勉強のためにやってきた。目的は、推測するにトップ・グローバル・ブランドとしてのポジションを確立すること。その時、カンヌは使えるか、使えるとしたらどうすればいいのかを学習すること。数年勉強を続けた果実が2012年の「Thanks Mom」だったという。

 カンヌはあくまで使うものなのだ。
 


 数年前まで新たなカテゴリーについてよくカンヌから相談されていた。
 カンヌは、クリエーティブ・インダストリーのデファクトたろうとしている。
 それゆえ、いつも迷い悩んでいる。クリエーティブ産業を常に拡張進化させたいと願い、それを自分たちのミッションに定めている。そのために、どういう仕事にアワードを与えればいいのか。どういう職種の人たちを呼びよせればいいのか。それを、カンヌの形態を毎年変容させることで果たそうとしてきた。
 拡張、改変、消滅を繰りしながら、「重複してるじゃないか」「あれは意味がない」などと言われながら、気が付けば、30ものカテゴリーを抱えることになった。

 ごちゃついている。
 明らかに。
 作品も、セミナーも、人も、場も。
 ただこのごちゃつきは、新たなよきことももたらした。

 参加者の多様性である。もはやアイデアを考えカタチにする仕事に従事している人たちは、Creativityという能力によって仕事を成立させている人たちは、全員参加資格があるのだ。これが、10年以上前、AdvertisingではなくCreativityのフェスティバルと定義を変えたことでもたらされた大きな変化だ。社会をよくするために必要なのも、ビジネスに必要なのも、サイエンスに必要なのも、すべてCreativityだ。
 クリエーティブ・パーソンであれば、どの職種であれ、なんらかの使い方が発見できるフェスティバル。これが、現状のごちゃつきがもたらすプラクティカルなカンヌの価値だと思われる。

 カンヌは教科書ではない。ある種のカオスであるほうがいい。だって、世界はますますカオスだから。去年と今年が矛盾していること。昨日と今日が矛盾していること。昨日追いかけていたものを簡単に捨てて、古典から新たに引っ張り出したり、突然現れたものに入れあげてみたり。

 タイトルからAdvertisingが消えた時、カンヌは、世界全体を捕まえようという野心を持ったのだ。その視座から、Creativityにできることを考える。その野心はクリエーティブ・パーソンみんなが共有すべきものだと思う。
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